〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/05/27 (日) 近代国家と “圧搾空気” ・ 教育勅語 (一)

十年ほど前に歌舞伎俳優の坂東三津五郎さんという方が、ふぐの中毒で惜しくも亡くなられました。
三津五郎さんは随筆家でもありましたね。面白い随筆が書かれていて、終戦直後に京都で 「勧進帳」 をなさった話をよく覚えています。
安宅の関で弁慶が、関守の富樫左衛門の前で勧進帳を読むという芝居をやるのですが、終戦直後ですから小道具もなかったのでしょう。肝心の巻物が見つからない、京都は焼け残っていたのですが、京都にも手ごろな巻物がない。
そこで三津五郎さんは、そういえば教育勅語があったなと思いつかれた。
昔はどこの学校でも、特に小学校、中学校などでは、式のたびに校長先生が非常に厳かに読まれたものです。
奉安殿という、教育勅語を納めた小さな、祠のような建物が、どこの学校にもありました。そこから先生の誰かが勅語を取り出してくると、校長先生は白い手袋をはめて厳かに包みを解かれ、箱の蓋をそっと置かれ、勅語を取り出される。

「朕 (チン)(オモ) フニ我 (ワ) カ皇祖 (コウソ) 皇宗 (コウソウ) (クニ) ヲ肇 (ハジ) ムルコト宏遠 (コウエン) ニ・・・・・・」
という勅語をお読みになる。巻物であります。
三津五郎さんはそれを思い出して、あれを借りられないかしらと、京都の府立一中を訪ねます。
府立一中は湯川秀樹さんとか貝塚茂樹さん、吉川幸次郎さんに朝永振一郎さん、今西錦司さんもそうですね、たいへん偉い学者を輩出した、日本でも代表的な旧制中学であって、校長先生も代々よくよく選ばれた人がその職に就かれていたと聞いています。
三津五郎さんの話を聞いた校長先生は、
「あります」
と言って奉安殿に行った。
中を開けると、巻物がありますね。どういう訳か木刀も一本入っていて、
「これみな差し上げます」
と、おっしゃった。
国滅び、こうして教育勅語も歌舞伎の小道具になったという面白い話ですが、ここから日本人の浅薄さを汲み取るというのは間違いですね。
だからといって、戦争は懲り懲りだという気分の中から出てきた話でもないと思うのです。
何でしょうね。
要するに、私は昭和元年から昭和二十年まで、その二十年は何であったかということを、雑談風に話そうと思っているのですが、その校長先生にすれば、その時代の日本は本当の日本ではなかったと、どこかで思われているのではないかと思うのです。

日本の歴史は面白い歴史です。
どの民族にも素晴らしい歴史がありますけれども、日本人は第一級の歴史をつくって来たと思います。
平安時代には紫式部がいます。
鎌倉幕府という農民の政権、開拓農民の政権も誕生しました。武士という名前を使っていますが、紛らわしい用語でありまして、本当は開拓農民ですね。開拓農民が自分の土地所有を主張して出来た政権が鎌倉幕府でした。
明治、大正時代に活躍した偉大なる東洋学者、内藤湖南 (ナイトウコナン) 博士 (1866〜1934) はおっしゃっています。
「われわれは室町時代の子です」
日本人の生活、文化、お茶もお花もそうです。数奇屋普請まども室町時代に始まっています。そして南蛮文化が入り込んだ時代でもあり、非常にインターナショナルな時代でした。われわれに非常に大きな影響を与えてくれた時代であります。
特に応仁の乱 (1467) は意識しない革命でありました。
中世の古いものをここで焼き捨て、新しいものへの用意をする為の、一種の生物の現象のようなものですね。
革命意識や革命の理想、テーゼを持たない、しかし結果として革命と同じ結果となったのが応仁の乱でした。
応仁の乱により、当時の階級制は崩壊しました。叡山その他の宗教的権威、室町武士の社会的な権威も衰えたところに、新しい世代が台頭します。
時代は下りますけれども、豊臣秀吉 (1536〜98) のような人物が出てくる。当時の環境を考えてみると、秀吉は戦災浮浪児のような境遇です。そういう育ちの人が関白になるということは、日本史の一番輝かしい現象だと思うのですが、その前提として応仁の乱がありました。
この時代、最初の戦国大名として北条早雲 (1432〜1519) が登場してもいます。早雲は非常に素晴らしい政治家でした。
北条早雲は伊豆に戦国大名的な国をつくる。いわば絶対王政を築くのですが、領民の面倒をよくみました。政治というものは要するに税金を取るものだが、その代わりに税を払う百姓の面倒をみるものだ。そういう考え方も、早雲の時からスタートします。これも室町末期であります。
さらに江戸時代の二百七十年はひとつの学校でもあったと言えます。江戸時代のことを言い始めるときりがありませんので、ここでは申し上げませんが、とにかく我々の歴史は第一級の歴史だと私はずっと思ってきています。
ところが昭和元年から昭和二十年までは異常である。おそらく私はこのシリーズにおいて言い続けることになると思うのです。

主題はそれです。他の日本史とは違う。特に昭和十五、六年ごろから敗戦の二十年までは異常でした。日本史の中の鬼っ子といいますか、そういう時代だったと、それを京都府立一中の校長先生もどこかで思っておられたのではないでしょうか。
「いいです、いいです。どうぞお持ちください」
そう言われた教育勅語こそ気の毒であります。
私も子供の時に教育勅語をずいぶん聞かされました。元旦の式のとき、これは寒うございました。それから二月十一日の紀元節も寒かったですね。とにかく、あらゆる式の日に非常に重々しい儀式を伴いながら、教育勅語が読まれました。
実を言いますと、私のような怠け者の児童は、ただお経のように音律を覚えているだけであり、もしくはその校長先生の演出、厳かな演出を覚えているだけであって、内容まではよく覚えていないのです。
『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ