〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/05/22 (火) 何が魔法をかけたのか (六)

日本人は戦後に新しい憲法を持つことになりました。むしろ子の憲法の方が、昔なりの日本の慣習 ---- 法慣習とまでは言いませんが ---- 日本人の観衆にふさわしい感じ、なじんでいる感じであります。
むろん明治憲法も悪くはありませんでした。しかし解釈の仕方によって運用を誤り、 「統帥権」 というお化けが出てしまいました。
やっぱり明治憲法はまずかったのでしょうね。その理由を探すと、明治維新そのものにあったのではないかと思うのです。
明治維新は色々な素晴らしいものを持っていました。幕末の人々も素晴らしいものを持っていました。しかし、思想は貧困なものでした。
尊皇攘夷だけでした。
尊皇攘夷は十三世紀に滅んだ宋の時代に出来上がった思想です。北中国は異民族の征服王朝・金に、さらに北方にはモンゴルにと、異民族がどんどん宋を圧迫していました。
漢民族の王朝の宋は南へ南へ押しやられ、やがて滅ぼされるのですが、そのときに沢山のインテリが現れました。
宋の時代の学問は非常に特徴的なものでした。それまで儒教といっても、べつにイデオロギーではなかったのに、宋の時代、先鋭化したイデオロギーになってしまいました。
王を大事にして、夷は打ち払う。つまり、外国人は打ち払う。これが尊皇攘夷ですね。
この思想が幕府の官学になったり、水戸学になったりしました。特に水戸学によって先鋭化していき、幕末の頃だと、べつに水戸学を綿密に勉強しなくても、一種のスローガンのようになってしまいました。
ほかの思想が入らなかったんですね。例えば文化・文政の時代 (1804〜29) 、もし長崎経由でうまくルソー (1712〜78) の思想が翻訳されて日本に入ってきていたら、ひとつのグループを形成したでしょう。
彼らが革命家となり、明治維新政府の要員の何パーセントかでも占めたとしたら、 「ひとびと」 という思想が出来上がったと思います。もちろん、これは仮定の事です。ところが、明治維新は立派な革命なのに、尊皇攘夷という思想しか持っていなかった。
「ひとびと」 という思想がありませんでした。ひとびとという思想がなくて、明治十年 (1877) になってから中江兆民 (1847〜1901) がやっとルソーの思想を持って帰ります。
けれども、革命政権というものは自分のイデオロギーを頼ります。後から来たイデオロギーは非常にいかがわいいものだとか、敵のイデオロギーだとする。
人間というものが大事だという当たり前の思想に対して、為政者が一種の危険性を感じる国になったと私は考えています。
しかし、明治のイデオロギーは貧しかったけれど、明治の国家をつくった人々はしっかりしていました。
なにしろ自分でつくった国家なのです。よくわかっていました。
自分たちは果物でいうとジュースの多いリンゴのようなものだ、尊皇攘夷と言っても一つの掛け声のようなものであり、元気を出せというようなものだと、当事者たちはよくわかっていたと思います。
ですから、ヨーロッパのいいものを入れる。そして、国の精神を少しずつ太らせていくという方向に向かったのだろうと思うのですが、その人たちの多くが死んでしまうのが明治四十年 (1907) ごろでした。
日露戦争に勝利します。
そこから試験制度の官僚が国の前面に出てくるわけであります。
ペーパーテストで陸軍大将にもなれるし、総理大臣にもなれる。そういうことで出てきた人たちが、昭和初期になって明治のひからびた思想を利用した。明治人はそれがみな、干からびた思想だということを知っていたと思います。その干からびた尊皇攘夷を持ち込み、統帥権という変な憲法解釈の上にのっけたのではないかと、それが 「魔法の森」 なのではないかと思うのです。
口で言うだけでは、実感は伝わっていないと思います。
伝わらないのが当たり前で、自分でも、ただしゃべっているなあという感じであります。説明的な言葉でいうのは虚しいものですね。
私は小説家でありますから、小説の形で書くべきだと思いますが、小説は、このようなテーマを包む風呂敷ではないのですね。小説というのは、あありあい大きな風呂敷なのですけれども、そこまでは包めないのだと思います。
二度あることはないと思います。
統帥権というようなものがあって、このようなことになったのですから、今はもうないのですから、二度あることはないと思います。
この記憶を感覚として伝えたいと思うのですが、私は非力ですね。
しかしながら、その 「魔法の森」 の仕業のために、数百万の日本人が死んでいきました。太平洋戦争、あるいは満州事変以後の十五年戦争といわれる戦争で死にます。沖縄では民衆が死にます。小さな被害でいうと、私の家などは空襲でなくなりました。
そして、多くのアジアの人々を苦しめました。
実感としてうまく伝えられないのがもどかしいのです。

『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ