〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/05/21 (月) 何が魔法をかけたのか (五)

「魔法の森」 は、いつから始まったのでしょう。明治憲法を取り出して 「天皇」 について読んでみます。 「天皇」 は皇帝 (カイゼル) ではありません。
明治憲法によると、天皇は政治的な行動は殆ど出来ません。いわゆる国務大臣が ---- 内閣総理大臣も明治憲法下では国務大臣の一人ですが ---- 最後の責任を負うということになっています。明治憲法は古くさい憲法ではありますが、それはそれなりに運営すれば、太平洋戦争や満州侵略、あるいは中国侵略、あるいはノモハンの惨烈さ、そして国民への締め付けというものは起らないはずでした。
明治憲法には、信教の自由も、信書の秘密も認められています。私有財産も認められています。要するにナポレオン (1796〜1821) がフランス革命の最中にナポレオン法典をつくりまして、フランス革命そのものの精神を民法の中に盛り込みました。その回り回った影響が明治憲法には表れていますから、それなりの近代憲法です。
ですから、 「統帥権」 などという変なものは出てこないはずなのです。

「統帥権」 といっても、それほどに聞き慣れない言葉でしょうが、我々をひどい目に遇わせたのは、この三文字に尽きるのではないかと思うのです。 これで 「魔法の森」 が解けるわけではないのですけれども。
明治憲法も三権分立でした。議会が法を立法し、そして総理大臣以下の国務大臣が行政を受け持つ。立法、行政、司法の三権分立には違いなかったのですが、その上の超越的な権力、権能というものが統帥権でした。
これは、憲法を何処から解釈しても出てこないものなのです。
しかし、 「陸海軍は天皇がこれを統帥する」 という一条を大きく解釈していくと、統帥権というインチキの理論を持ち出すことが出来るのです。立法、行政、司法の三権を超越し、結局、軍人だけが統帥権を握りました。
といっても、陸軍大臣が握っているわけではありません。参謀本部の総長および参謀本部が握っています。参謀本部というものは、もともと戦時に必要だったのですが、平時も軍備を整えるということで予算の分捕り、その他でもちらちらと統帥権をほのめかし始めます。満州において兵を起こすことについても、統帥権の上で必要だとした。
統帥権を、もう少し具体的に言います。
金モールをつけた参謀将校たちは、天皇のことをふつう 「お上」 と言っていた。女官の言葉ですね。京都に御所のあった頃の女官の言葉のように、 「お上」 と呼ぶ。天皇を自分の身内のようにして呼んだのですね。
ほかの軍人は天皇という法制上の言葉で呼んでいるが、彼らだけは 「お上」 と言っていた。つまり、参謀本部の人間は大佐であろうが大尉であろうが少将であろうが少佐であろうが、天皇のスタッフでした。
作戦は機密を要する。それが次々に拡大解釈されました。
満州で事を起こせば、これは統帥上必要だとする。
どうして統帥上によその国を侵略することが必要なのか知りませんが、とにかく侵略を起こす。そしてそれを東京の参謀本部が追認し、ついに行政府が追認せざるを得なくなる。たれもそれは憲法違反だといって告訴したりはしません。そんなことをすれば、その人間がしょぴかれてしまう。
こうして魔法の時代は始まります。このような異様な、陰惨な歴史をかって日本が持ったことがありませんでした。鎌倉時代は八百万人ぐらいだったでしょうか、弥生時代の頃は二、三百万人いたでしょうか。昔は昔で苦しかったこともあるでしょうが、この時代に比べれば、人々はのんきに過ごしてきたと思います。江戸時代のお百姓は辛かったでしょうが、それなりに気楽に暮らしたと思います。兵隊にとられずにすむのですから。
けれども、昭和元年から二十年までの間は異様ですね。その時代の異様な感じが古典化することは恐ろしいですね。

『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ