〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/05/20 (日) 何が魔法をかけたのか (四)

灯火管制が解除されて、火がつけられました。その敗戦の私個人の感想を言いますと、ちょっと申し上げにくいのですが、たとえば勉強が嫌で嫌でたまらない生徒がいたとします。明日が試験だという晩に学校が火事になった感じですね。
悲しいことなのですが、しめた、あの試験は助かったという気分です。
私は何か簡単な演習の企画をする予定でしたが、その企画が上手く出来ないでいました。敗戦となり、もちろん演習は中止ですから、ああ助かったという感じでした。
死ぬことは平気でした。
私は自分の特技が唯一あるとすれば、いつ死んでもいいという気持ちだったと思っているのですが ---- まあ、格好のよい言葉でいえば、覚悟といえますけれども、そんな大袈裟なことではないのです ---- その当時は今より濃厚にそう思っていました。
しかし、それが去った。そういう状態でした。
話がちょっと飛ぶようですが、戦後にアメリカ軍、国際法的には連合国軍に占領されましたが、さほどの抵抗がなかったような気がします。
たとえば昭和初年から戦時中、非常に盛んだった右翼的気分というものがありました。しかし、終戦の直後のどさくさは別にして、アメリカ軍に徹底的に抵抗した話を、少なくとも私は知りません。
これはどういうことかと考えますと、それまでは日本の軍部に支配される、というより占領されていたのだろうと思います。
昭和のパニックの後、満州事変 (1931) が起ります。閉塞状態を、戦争によって、あるいは侵略によって解決しようとした参謀本部の考え方が結局、満州国という偽者の国家を作り上げた。
いま中国残留孤児の方々が帰ってきておられますが、その反作用ですね。
凄惨なる、つまり国家をたぶらかした人々がいました。しかし彼らの中にヒトラー (1889〜1945) はいません。ヒトラーならヒトラーだけ悪いということにしてしまえばいいのですが、ヒトラーはいない。誰ということもなくて、魔法の森が二十年間続いた。
満州の森の主役は関東軍です。私も関東軍の兵士の一人でした。
陸軍大学校という大変なエリートコースを出て、やがて必ずゼネラル、つまり大将になることが約束されたエリートたちにとって、関東軍の参謀になることはひとつの出世コースでした。
人の国をいっぺん触ると、自分の国も触ってしまう。ひとつの国をいたぶったあげく、自分の国をもいたぶり、占領してしまうのですね。
結局、日本は満州事変以降、占領されていたのでしょう。
敗戦後、占領軍が来た時、今まで戦った敵国なのに日本人は実に率直に受け入れたことになり、これは日本人に対する信頼にかかわる問題だと言う人がいます。
しかし、これはちょっと違うのです。
昭和二十年代の私は新聞記者でしたが、こう思っていました。この国は結局、アメリカに占領される前に、二本の軍部に支配、占領されていたのだろうと。 「魔法の森の占領者」 より、より柔らかい占領者が来て大きな文明を持ってきた。何か世の中が開けたような、太陽が出たような、暖かくなったような感じを持った。
私はこう思っていました。
占領といっても、この占領は屈辱的ではない。要するに、その前がいけなかったんだと。何度も同じ言葉を使いますが、 「魔法の森の占領」 たちがいけなかったんだと。
支配というのなら、織田信長も支配しておりました。秀吉も、徳川家も支配しておりました。支配というのは物柔らかなもので、人民というものを考えた上でないと支配は出来ません。しかし、占領は、もっと猛々しいものであります。

『昭和という国家 』 著・司馬 遼太郎 発行所・日本放送出版協会 (NHK出版) ヨ リ