〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/18 (水) 腹を切ること R

夕刻になった。
大葬の葬列が宮城を出発するのは夜の八時である。希典はそれ以前の午後六時には参内しなけれなならない。静子は別な意図もあって二階にあがり、廊下にすわり、
「もうお時間でございますのに。お加減でもお悪いのでございますか」
と襖越しに声をかけた。希典の声が、襖越しに戻ってきた。
「わしは参内せぬ。察していようが、わしにはせねばならぬことがある」
静子は動機を抑え、襖を開けようとした。しかし鍵が掛かっていた。
「あとで、鍵をはずしておく」
と、希典は言った。後で来い、という意味であろう。
さらに希典は言った。書生、女中などはみなを御大葬の拝観に出かけさせよ、仕事などは差し置かせ、はやばやと屋敷を出させよ、そのように命じよ、と言った。
やがて階下の台所で書生、女中たちは夕食をすませたが、主人夫妻が出かぬため自分らが出かけることを躊躇した。
静子はやかましくそれをせきたてた。女中たちは出渋っていたが、静子はその最後の二人を出してしまうと、二階の希典の部屋へ行くべく、階段をのぼった。
静子の服装は、大葬のための略式の喪装であった。略式とはいえ、橡色 (ツルバミイロ) 麻の小袿 (コウチギ) をつけ、柑子 (コウジ) 色の袴をはき、白色麻衣、その下に白木綿の襦袢を二枚重ねている。
静子は希典の部屋に入った。
部屋は、八畳二室である。彼がそうしたらしく、間の襖がはずされていた。
希典は軍服のままで端坐し、かたわらに軍刀を横たえている。
東側に、窓がある。その窓の下に小机が置かれ、小机は白布で覆われており、そこに先帝の写真が置かれ、榊、神酒徳利一対が供えられていることは、普段のままであった。しかしその小机には別なものが置かれていた。書類数点、それに封筒一点であり、封筒に遺言状と墨書きされているのを見たとき、静子は全てを察せざるを得なかった。
が、静子は自分でも意外なほど取り乱さなかった。覚悟というより、この情景は彼女の想像の中で何度か明滅してきたろころのものであったし、それが適中したというよりその想像したものが今復習されているといったような実感だったであろう。
「察しのとおりだ」
と、希典は言った。
「自分の心事についてはすべてわかってくれていること思う。自分は死ぬ。死後のことは遺言状および遺書にある。ところでいま、何時になる」
「午後八時十五前でどざいます」
「とすれば」
希典は言った。
「もうすぐ、そう午後八時に御霊柩 (ゴレイキュウ) が宮城を御出ましになる。号砲が鳴る。その時に自分は自決する」
あと、十五分しかない。静子は、そのことを冷静に聞いた。なぜならは彼女はすぐその場を立ち、その足で部屋を出、階下へ降りた。希典が葡萄酒を持って来るようにと命じたからであった。
静子は階下へ降り、戸棚から葡萄酒を取り出し、たまたまそこにいた姉馬場サダ子の孫英子と普段と変わりない会話を交わしている。馬場サダ子もそのあたりにいたが、静子の様子に異常さをみとめなかった。
静子は、二階の希典の部屋に戻った。希典はその葡萄酒を静子に注いでやった。別盃なのであろう。

これ以後のこの場の情景については、想像をめぐらせる以外にのぞきようがない。
静子はこの異様なほどの冷静さは、自分も生きていないというところから出ているのであろう。希典の死後、静子はいつ死ぬかはなだにわかのことであもり、決めるに至っていなかったが、しかし死ぬことについてはこの情景の中では覚悟がすわらざるを得ないであろう。
というより、このような状態はずっと以前から宿命づけられていたようにも彼女は思えたに違いない。
彼女は野木家に嫁て以来、自分の見た夢を、目がさめるとすぐ覚えに書きとめるのが癖であった。幸福な夢は少なく、殆どの夢が兇夢であるかそれに近く、そのいくつかの夢の情景は人にも語ったし、今でもありありと覚えている。その中には自分の死ぬ夢もあり、希典の死ぬ夢もあった。
その夢がいま彼女にすれば現実 (ウツツ) の時間の中で動いているに過ぎないようにも思われたのであろう。
ときかく彼女も死なねばならない、その時期は未定であった。当然、家財その他を整理したあとだということになるであろう。
彼女はこの別盃を汲みかわしているとき、自分も生きていない、いずれ後を追って死ぬ、と言ったにちがいない。

『司馬遼太郎全集・「殉 死」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ