〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/13 (金) 腹を切ること L

彼自身の肖像だけでなく、彼の乃木家の先祖とされている佐々木高綱の肖像をも画家小堀鞆音(トモト) に揮毫を頼み、それも出来るだけ早く完成してくれるよう注文した。
佐々木高綱は源頼朝の旗あげ以前からの郎党であり、鎌倉幕府が出来てから高綱はもっとも大きな恩賞を受け、山陰山陽七カ国の守護になった。この高綱の多くの子がその領国内の地頭になって散在したが、そのうち光綱という者が出雲の乃木村に住み、そこを領した。その光綱の子孫が毛利家に仕え、乃木家の家祖になったのは徳川期に入ってからのようであった。
希典は、山が素行の 「中朝事実」 のなかにある
「人イマダソノ父祖ヲ思ハザルナシ」
という言葉が好きであった。
彼は邸内に祠をたて、佐々木源氏の氏神である近江安土村常楽寺 (アズチムラジョウラクジ) 在の沙々貴 (ササキ) 神社の祭神を分祀していた。
この時期、彼は乃木家の系図を丹念に筆写し、それを近江の沙々貴神社に奉納し、保存を願おうとした。希典にすれば自分が自害して果てれば、二児がすでに戦死している以上、乃木家の系譜はこの地上で絶えると思ったのであろう。そのことのみが彼の感傷に耐え難く思われたのであろう。
彼はせめて系図をその祖先の氏神である沙々貴神社に保存してもらうことによって、かってこの地上にそういう一族が存在したことの証にしようと思った。
彼はこの系図を筆写しつつ、彼から遠からぬ過去の縁者の中で何人かが非業で死んでいることを知った。
乃木家は非業に死んだ者が多かった。乃木庸雄という者が 「御奉公仕り候処、不都合これあり、死去」 、乃木文郷 (フミサト) という者が 「縁談の儀につき遺恨をはさみ、刃傷に及び候につき」 などとあり、いずれも家族や親類がとり籠めて詰め腹を切らせてしまったものであろう。

九月になり、さらに日が過ぎた。希典にとってその日が近づいてきた。
ある日、彼はめずらしく階下ですごし、家人や親類の者などと雑談をしていた。この時夫人が、
「跡目のことでございますけど」
と、さり気なく言い出した。夫人にすれば二児が死んでいる以上、家督のことを明瞭にしておかなければならないということを、この場の話題にしておきたかった。
乃木家は伯爵家である。一般とは違い、皇室に直属している以上、旧幕時代の徳川家における大名家の立場に似て、あと誰に継がせるべきかということを出来れば明らかにしておく方がよかった。伯爵家は世襲であり、何者かがこれを継いでゆかねばならない。
が、希典は興味を示さなかった。
彼にすればこの乃木伯爵家は自分の死をもって廃絶することを考えており、遺言にもそれを明記するつもりであった。彼はこの点で多少おそれていた。自分の死後、誰かお節介者があらわれて伯爵家に跡目を立てるであろうということをであった。
伯爵には栄誉だけでなく、年金がつく、このことが世俗からみれば魅力であった。さらに乃木家には自然に累積した財産があった。あるのは当然であろう。なぜならば希典には現役の大将としての年報があり、学習院院長の月俸、功一級の年金、軍事参議官の手当て、それに伯爵の年金、といったものを合わせれば東京に住む俸給生活者のなかでもとびぬけた高額収入を持っていた。
跡目の相続者はそれらをも当然、相続できる。希典はこのことをおそれた。
(このことは、彼の杞憂に終らなかった。彼の死後、山形有朋は宮中に画策して彼と乃木家の旧藩主家から一子を迎え、乃木伯爵家を相続させようとした。しかし希典が遺言に書きおいたため、関係者の反対に遭い、断念した) 。
「乃木家の跡目のことか」
希典はやっといった。
夫人静子は、
「天子様でさえ御定命 (ゴジョウミョウ) だけはなんともなしえませぬ。もしものことがあれば、わたくしが難渋します」
といった。
希典はふたたび沈黙した。
“自分の決意を、静子はまだ気づいていないのか”
と、希典は思ったであろう。
希典は自分の自害については細心に、しかも完璧な形式をもって仕遂げたいと思っていた為に、その妻にも語らなかった。洩らせばあるいは静子は反対するかも知れず、死ぬどころかその可能性が大きく、このためかえって事が混乱し、思わぬ瑕瑾 (キズ) やしくじりが出来るかも知れない。言わずに、当日いきなり断じようと思っていた。
しかしながら希典にすれば、彼女においていくらかは疑念を持たせ、それとなく事が突如でないように思い量らせようとしむけていた。仕向けているつもりであり、たとえそうでなくても夫婦である以上、その一事を少しでも疑うべきではないか、が、この跡目の問題を持ち出した彼女の表情には別に他意のありげなところがなかった。
このことは希典の気持ちを多少迷わせ、しばらく自分の返事をおさえた。
やがて、希典は口を開いた。
「べつに、困りはすまい」
と、問題を別のものにわざと食い違わせた。
こまる、というのは伯爵家の跡目ではなく彼女があとでいった彼女の老後のことであった。なるほど女ひとりを養うという程度なら、希典は十分以上の遺産を残すことになるであろう。
が、静子は、いいえそのことではございませぬ、と、すぐ訂正し、さらに言おうとした。希典は話題を打ち切るためにことさらに笑いだした。
「何も困ることはないではないか。もし困ると思うなら、おまえもわしと一緒に死ねばよかろう」
希典はわざと冗談めかしていったために、そばに居た人々はこのことを当然会話の上での遊びだと思った。
希典は幾年か先に病死する。そのときはおまえもどうだ、一緒に、というのは仲のいい老夫婦なら一度は言い交わす冗談であったであろう。
が、静子はこの時初めて微笑を消し、真顔になった。その一点につき、多少の不審を今まで感じてはいた。希典が自室に引きこもって書類整理をしている様子が、日が経つにつれ、ただ事でないようにも思われてきたのである。
彼女は先日、自分の実姉の馬場サダ子の家を訪問した時も、
----- ちかごろ、希典の様子がどうも変なのです。
と、なにかの話のついでにいった。気になってはいたが、ごく軽い言葉調子で言った。まさか静子にも、希典が殉死の企図を秘めていようとは思わなかった。
崩御を痛んでの希典の日常がひどく陰鬱なものになっている、ということをそのような言葉でいったのであろう。
しかしいま、話題が死の話であるだけに、静子は聞き逃すことが出来なかった。ふと、この人も死ぬのではないか、と思った。
『司馬遼太郎全集・「殉 死」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ