〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/04/30 (木)  二 〇 三 高 地 (二十三)

二〇三高地は、すでにおさえた。
乃木日記の十一日の項に、
「有風、烈寒、零下十度」
と、ある。この朝、彼は豊島山も陣地を巡視しなければならなかった。柳樹房の軍司令 部を出る時、観戦員の志賀重昴が、玄関まで送ってきた、外は、烈風に雪がまじってい た。乃木は庭へおりてからふと志賀のほうへ引き返し、ちょっとはにかみの微笑をうかべ つつ、
「志賀さん、あとで見ておいてください」
と、志賀の掌に紙片をにぎらせた。
滋賀が部屋にもどってからその紙片を開くと、鉛筆で詩稿が書きつけてあった。 高名な爾霊山の詩である。
爾靈山険豈難攀

男子功名期克艱

鐵血覆山山形改

萬人齊仰爾靈山
とある。志賀は小声で訓 (ヨ) みくだし。
爾霊山は険なれども豈攀じ難からんや
男子功名克艱を期す
鉄血山を覆うって山形改まる
万人斉しく仰ぐ爾霊山

滋賀はこの詩に驚嘆。
── 自分も遠く及ばない。まして児玉さんなどは。
と、数日前の詩会での児玉の詩を思ったりした。第一、
「爾靈山」
という、この言葉のかがやきはどうであろう。この言葉を選び出した乃木の詩才はもはや 神韻を帯びているといってよかった。
二〇三 (ニレイサン) という標高をもって、爾の霊の 山という。単に語呂をあわせているのではなく、この山で死んだ無数の霊 ── 乃木自 身の次男保典をふくめて ── 乃木は鎮魂の想いをこめてこの三字で呼びかけ、しかも 結の句でふたたび爾ノ霊ノ山と呼ばわりつつ、詩の幕を閉じている。
じつは、二〇三高地が陥落した日の翌日、この山にどういう名をつけるかについて、山 上で議論があった。
上で議論があった。 第一師団長の松村務本は、
「鉄血山がいい」
といった。鉄と血をもって奪ったからだという。これに対し、矧川 (シンセン) 志賀重昴は 、
「旅順富士はどうでしょう」
と献案したが、あとで考えて、志賀はわれながらまずい案だと思った。
「児玉山はどうでしょう」
という者がいて、ほぼそれに決まりかけたが、なんとなく議がまとまらず、そのままになっ ていた。その命名のまとめ役は志賀重昴が引き受けさせられていた。
(爾靈山以外にない)
と、志賀は、この詩で思った。

司馬遼太郎全集第二十五巻 坂の上の雲 (二)  著・司馬遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ