〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2007/04/11 (水) 腹を切ること I

そういう彼に対して、低年齢の児童の多くは恐怖をおぼえ、高年齢の生徒の何割かは反抗をおぼえた。
しかし少なくともただ一人の児童だけが彼を恐れず、むしろ慕った。
こもころ皇孫殿下といわれていた裕仁親王であった。親王は後の昭和元年に帝位を継ぐにいたる人で、乃木希典の学習院長就任の翌年、八歳で初等科に入学された。
この皇孫ほど明治帝の期待の大きかった人はないであろう。帝はこの皇孫が初等科に入学するにあたって、乃木希典をして学習院長たらしめようとした。希典をして、かっての帝における山岡鉄舟、元田永孚たらしめようとされたのであろう。
希典も帝の期待に応えようとした。彼は他の児童・生徒に対しては院長という立場で臨んだが、この皇孫に対してだけは一人の老いた郎党という姿勢をとった。自然皇孫は他のもののように希典を恐れず、恐れる必要もなく、無心に彼に親しみ、親しんだればこそ、学校における他の者とは違い、希典の美質を幼童ながらも感じ取る事ができた。
希典がこの幼い皇孫に口やかましく教えたのは一にも御質素、二にも御質素ということであった。

帝は、それら、希典の教育ぶりに満足されているようであった。
他の二人の皇孫についても希典の訓化を要求された。淳宮 (アツノミヤ) (秩父宮) と光宮 (テルノミヤ) (高松宮) であったが、この両宮はまだ幼すぎたせいか、希典にはなつかなかった。希典も帝位継承者である皇孫殿下ほどには思いを入れえずこの両宮に対してほのかに疎略であった。
----- きょうは乃木は来ないのか。
と老帝がときどき左右に聞かれるほど、希典が宮中に姿を見せる事が多くなった。このことは帝にとって楽しみであったようだが、かといってどれほどの談話があるというわけでもない。
帝にとってこの忠良な老郎党のたたずまいは、一種の愛嬌とおかしみを帯びていた。山県有朋や伊藤博文、西園寺公望、桂太郎などにはそういうところがなかった。彼らは帝にとって能力の提供者であり、誠実はときとして滑稽感をともなう。
たとえば明治四十二年のあるとき、帝はやや重い風邪を召された。希典はそうとも知らずに参内した。
華族である希典は、参内の時は規定により東溜間 (ヒガシタマリノマ) で待つ。希典はその間に入り、椅子に腰をおろした時、掛役人があらわれ、
----- お上は、お風邪にて。
という旨を告げた。希典は文字どおり飛び上がるほどの驚きを見せ、お熱は、供御 (クゴ) は、していつからでありましょう、などと問い、ついにいちいち返事を聞くのももどかしくなったのか、いきなり帝の寝所に行こうと思ったらしい。
希典は、東溜間からすぐ内庭へ出た。御寝所へ行く経路は東溜間から渡り廊下を通るのが正式であったが、それではこの場の希典には遠すぎた。彼は内庭を横切ってじかに御寝所へ行こうとした。
内庭には白い大粒の白川砂が敷き詰められており、その上を希典が歩くと砂がはげしくきしんだ。希典の長靴は昔から軍の正式のものを用いず、彼好みのものを用いた。膝をすっぽり覆うほどの大きなもので、どこか革具足を連想させるような重いものであった。
その長靴でこの白砂の上を踏むと、おもいがけぬほどに大きな音がした。しかし希典はその音を気にするどころではなかった。
その靴の音を御寝所で帝はききながら、
「乃木が来たな」
と、女官に向かってつぶやいた。
やがて現れたのは、帝の予感どおり希典であった。
来た、と帝は夜具の中でつぶやいた。当の希典は鞠窮如 (キッキュウジョ) としてすすみ、次室から機嫌を奉伺した。帝は女官をして病状を告げせしめた。
希典はその御病状が思ったより軽いのに安堵し、安堵した旨を述べ、型どおりの見舞いを申しあげた後、退出しようとした。女官が戸口まで送ってくれた。その女官が
「お上は」
と、希典にささやいた。
「閣下が参られたことをお足音でお聴きわけでございましたよ」
希典は仰天し、いそいでその長靴を脱ぎ、両手に抱え、足音を盗みつつもと来た内庭の白砂の上を横切って行った。その様子を女官は御寝所にもどるなり帝に告げた。帝ははじけるほどに笑われ、
「道理で帰りは足音がなかった」
といわれた。
帝はこういう場合の希典がもっとも好きであった。ひたむきに誠実であるがために当人が大まじめであってもどこか瓢軽たおかしみが出てしまうという、そういう希典のおかしみは帝にだけわかるおかしみであった。
もっとも希典のこのおかしみは希典のあるじである帝の立場でこそわかるものであり希典の同僚、部下、生徒、児童、家人には到底わかる立場ではない。
ともあれ、この主従はそういう微妙な感情までなかにおいた仲であり、その意味において希典はこの国家における単なる軍事官僚ではなかった。上代的な従者であった。

『司馬遼太郎全集・「殉 死」 』 著・司馬 遼太郎 発行所・文芸春秋 ヨ リ