「茶屋、人間というものは、ちっとも油断のならぬものじゃぞ」 家康の言い方があまりに突然だったので、茶屋四郎次郎は、箸を持ったまま
「は?」 と答えて家康を見上げた。 「時々のう、わしは美味
いものが食べとうなる」 「は・・・・それはもう、私なども」 「しかし、そのたびにわしは反省するがの。この美味いものを食べたい時は、よく考えてみると自分がひどく疲れているときじゃ」 「ごもっともに存じまする」 「人間、疲れてはならぬ」 「たしかに年を取りますると滋養
の摂取
が・・・・」 「茶屋、勘違いをするな」 「は?」 「わしが疲れると言ったのは現身
の、肉体の疲れを指して言ったのではない」 「なるほど」 「精神の疲れのことを申したのじゃ。美食がしたいと考えるようなときは、せねばならぬ仕事、つまり目的があいまいになっているときだと申したのじゃ」 「あ!
そのことでござりまするか」 「そうじゃ。肉体はのう、どれほど美味を摂
り、どれほど大切にして寝ていてみたところで百歳までは生きられるものではない。衰える時が来ればきっと衰える。しかし精神は死ぬまで衰えさせぬことが出来る」 茶屋は思わずそっと箸をおいて姿勢を正した。そうせずにはいられない律義さのゆえもあったが、ただそれだけではなかった。 やはり禅堂ですぐれた師家の前に坐らされているような気がしたからであった。 「固くなるな。食べながら聞くがよい」 「は・・・・はいッ」 「わしはのう、他力のありがたさは充分に知って感謝している。が、また自力の効も忘れてはならぬものと思うておる。それゆえなあ、わしが食膳に美味を並べておらなんだら、家康はまだまだ満々とした自信を持って、精神の疲れを知らず、目的のために働いているのだと思うてくれ」 「あ・・・・ありがたいことに存じまする」 ご馳走をせなんだ言いわけの、これがご馳走じゃぞ茶屋」 「山海の珍味にまさる、ありがたき、心の滋味にござりまする」 「わしとてものう、美味いものは美味い」 「ごもっともで」 「しかし、わしは貧しい民百姓のある限り、それらに顔向けならぬほどのおごりは、慎まねばならぬものと思うておる。人もわれもみな、おなじ神仏の愛
し子じゃ」 「仰せのとおり、と存じまする」 「それにのう、少しでもおごりを尽くしていると思うと、いつかそれが心の負い目にまっての、大きな自信を失うてゆくものじゃ。どうじゃ、この膳ならば、まだまだであろうが」 茶屋四郎次郎は、はじめてこれが家康の自分の労をねぎらう答えであったと気がついた。 家康の無心はまた、何ときびしい反省の上に立った無心であろうか。彦左衛門がさっき、無心は有心有心は無心と言っていたが、これはただの無心さではない。 そう思うと、茶屋の眼は自然に曇り、曇った瞼の裏で、家康とは、およそ対照的な秀吉の生活の豪華さが思い描かれているのだった。 |