茶屋四郎次郎は、お吟より一足さきに細川家の邸を辞去すると、しばらく門前で行く先にとまどった。 これから淀屋橋か八軒家の河岸
に出て、船で京都へ戻るつもりだったのが、急にそうしていてはならぬようなあせりを覚えて来た。 (そうだ・・・・秀吉自身の意志はどうであろうろ、側近の動きというのが別のあった・・・・) 石田三成の言葉では、秀吉の大坂帰着は盆の十三、四日になろうということだった。 もう備前の岡山まで来ている。それゆえ禁裏からも出迎えの勅使として、勧修寺
晴豊 が一両日中に京都を出発する手はずだそうな・・・・ そうなればむろん家康も黙っておれず、戦勝の祝いに上洛しなけれなならないことになろう。 その折に、万一転封
のことでも匂わせられたら、それこそ寝耳に水で狼狽するのではあるまいか・・・・? (いや、そのようなことはまだまだ」あるまい・・・・) 九州は征服し得ても、東には北条氏もあれば、上杉、伊達と去就のハッキリしない大きな勢力も残っている。 (言い出すとすれば、やはり小田原のことが片づいたあとになろう・・・・) と言って、このまま知らさずにいていいのかどうか? 以前には武士に愛想をつかした四郎次郎だったが、いまでは、ふしぎな親近感が再び家康を頼りだしている。 どう救いようもないと見えた乱世が、はっきり
「平和!」 を目の前に描き出して見せたせいかもしれない。 (やはり卓抜した力が背後になければ平和はない・・・・) そう思ってみると、茶屋にとっては秀吉よりも家康が頼れる気がした。 わが田へ水を引く・・・・と、言われればそれまでだったが、秀吉の言動の中に何かしら危ない脆
さが感じられる。 家康の方から秀吉に戦を仕掛けることは万々
あるまい。が、秀吉は勝つとわかれば、時には側近の口車にも乗りかねない気がするのだ。 (そうだ! 関白殿下もこれだけ大きくなられると、さまざまな寄生虫がつくはずだった・・・・) 一人一人では理解しあえる事柄も、周囲に誰れ彼の思惑がわずらわしい蜘蛛の巣を作りだすと、思いがけない結果を招かぬものでもない。 茶屋は歩きだした。 歩きだすと、もう心は決まっていた。 「──
家康のために忠勤を・・・・」 そんな気持ではなくて、三成から聞いたこと、細川夫人の言葉など、、そのまま報告しておく気になった。 ひとり茶屋だけではなく、秀吉と家康を争わせてはならないと言うことは、堺衆はじめ、京の商人衆から公家
、僧侶と、みなひとしい願望なのだ。 おそらく細川夫人の考えもそこにあるのに違いない。それなればこそ、切支丹の信者の木の実を徳川家の大奥へなどという夢も描いてみたのだろう。 じりじりと照りつける七月の陽射
しの下で、茶屋の足は急に早くなった。船で京へ戻って、そのまますぐに家康のもとへ出発する気になったのだ。 (家康に、木の実の話をしたらどんな顔をするであろうか?・・・・) 北の空にむくむくと入道雲がふくれだしている。 |