家康は、並んで猿楽を見ていた朝日姫の体が、急に自分の方へ傾き出したのを見ると、 「お方は、酔われたのか」 とたしなめかけて、それからぐっと眉根を寄せた。 「気分がすぐれぬらしい。これ、これ!」 夢中で舞台に見入っている老女を呼んだ。 老女があわてて抱き起こした時には朝日姫は紙のように蒼ざめて失神していた。 一瞬あたりがざわめきだした。 「休息させよ。医者は」 「大坂表から連れて参っておりまする」 三人の侍女が伊藤丹後の母とともに姫の体を抱えあげたとき、家康も立つものと彼女たちは考えた。 しかし家康は自分が立つ代わりに老女を叱った。 「せっかくみなの楽しんでいるところ、早くお連れして休ませよ」 それから、みんなを手で制して、 「騒ぐに当たらぬ。続けよ、続けよ」 軽く言って、自分もまた、何事もなかったように舞台に見入った。 それなり姫は、新御殿から戻って来ず、途中で老女が二度様態を祝宴の席へ知らせて来た。 気はついたが熱は高く起き出し得ない旨を告げて来たのである。 当然それで祝宴はお開きになるものと、大坂から来ている女房たちは思ったらしい。 「お見舞い下されましょうならば、仕合わせに存じまするが」 伊藤丹後の母が二度目にそっとささやいたが、家康は、 「案外、やわな出来よのう」 そう言っただけで、席を立とうとしなかった。 この事は、ついて来ている大阪方の女たちをひどく不快にさせていったし、徳川家の家臣たちをも憤激させた。 「祝言の夜ではないか。少しぐらいの不快を言い立てて引きこもるとはわがまま千万」 「いかにも、今からこれでは思いやられまする」 家康はそうした言葉が耳に入っても、別に姫のために弁護もしなかったし、女たちに家臣の感情の説明もしなかった。 この場合かえってそれは双方を昂ぶらせる結果になる。 宴は、双方にけわしいものを秘めたままで、しだいに酔いを深めていく・・・・ が・・・・ 彼らがそれぞれの立場から、どのような感情を抱こうと、この哀れな朝日姫と家康の再婚は、民衆にとって一つの勝利でなければならなかった。 家康はそれを感じているのかどうか。 もし感じているとすれば、これは二人の間を寿
ぐ祝宴ではなくて、歴史の前進に一転の光を見出す、勝利のための祝宴に通ずるものだが・・・・ 織田有楽が、扇をとって舞いだした。 彼は、この婚姻の意味するものと、朝日姫の哀
しい宿命とを最もよく知っている者の一人であった。 |