茶屋は蕉庵を訪問してよかったと心から思った。 彼のものの見方の中には、いつも過去と現在の動きの中から、次に来るものを的確に予想して身構えさせるものがあった。 これまでも、ほとんど茶屋は、蕉庵の言葉を提灯
代わりにかかげて歩いて、大きく的
をはずれたことがない。 「なるほど、よく分りました」 「分ってくれたら、あまり気になさらず、告げよと言うて来られたことだけ知らせてあげるがよい」 「しかし・・・・」 「しかし、何か、まだお気にかかりますかの」 「関白殿下の方から、仕掛けてゆくことは万々
ないと、納屋さまはご断言なさりまするか」 「茶屋どの」 「はいッ」 「よろしゅうござるかの。堺は唐天竺
から南蛮の果て、遠くヨーロッパまで通じておる町でござるぞ」 「それは・・・・分っておりまするが」 「それゆえ、堺の町人は世界の町人じゃ」 「なるほど」 「その世界の町人が、時の流れをじっと見つめて、この人に日本の天下を・・・・と、思うて推したのが関白じゃ。この意味をもう一度味わい直してご覧なさるがよい」 「は・・・・」 「この味わいは無限でござろう。関白のお側へはゆねに堺の町人が、関白の眼を世界へ向けさせるようおもり役を果たしている。少し自慢めくがの、関白をお育て申している者に、関白の心の分らぬはずはござるまい」 茶屋は相手が、余に淡々と大きなことを言い出して来たので再び、ぐっと全身を堅くした。 「関白が、かりに徳川どのと事を構える・・・・などと申しても、養育役が許しませぬ。ただ今はそのような時ではない!
一時も早く九州を平らげて、あの地に続々と世界への出口を作ってゆかせねばならぬ時じゃ。さもないと日本人は、この小さな島に閉じ込められて、四方の海にこぼれ落ち、魚の餌食
にならねばならぬ時が来る・・・・遠い将来にの・・・・そのような大切な時ゆえ、関白どのが攻めると言うても、世界の町人、堺衆が攻めさせぬ! そう思うて下されて、決して間違うことはないのじゃ」 そこまで言って、蕉庵は、自分でもテレたように額を撫でて笑っていった。 「ハハ・・・・これはとんだ釈迦に説法をしてしもうた。茶屋どのご自身が、眼の色変えて寸地尺土に執着し、斬った張ったで過ごす武士の暮らしに愛想をつかし、町人になられたお方であったわ。のう茶屋どの、せっかく町人になったからには、このくらいの、大きな気宇
を抱いて生きようではないか。のう」 茶屋四郎次郎は、しばらくまじまじと上品な蕉庵の顔に見入って言葉もなかった。いま日本に、関白秀吉を、わしらが育てている者ゆえ、勝手なことなどさせるものかとうそぶける人間があろうとは・・・・ (そう言えば、秀吉はあるいは堺衆の大番頭なのかも知れない・・・・) しかし、それをもし秀吉が知ったら、どうなるであろうか?
それを想うと、返事の言葉よりも先に、わなわなと全身が震えだしてゆく茶屋であった。 「話が済んだら、あちらへ参りましょうかの、女どもも待っている」 蕉庵は淡々と茶屋をうながした。 |