〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/03 (木) 誤 解 の 海 (六)

数正は平伏したまま、思わずそっと目頭めがしら を押えた。
数正は家康が必ず自分の意見を容れるののとは思っていたが、まさか予が送るべきところ・・・・そんなことまで口にするとは思っていなかった。
家康にとって、こんどの事は、おそらく腹に えかねる、口惜しい事だったに違いない。
戦に勝っていながら、実力の差で押さえつけられる。口では 「天下のため」 と言い 「秀吉がわれらに代わって諸大名を引き受けてくれるもの」 などと言ってはみるものの、圧迫される不快さは、理性では消し得ぬものとよく分っている。
その家康が、数正の意見をそのまま容れただけではなく、
「── 予が直々送って参るつもりだったが・・・・」
と、数正の一歩先へ思案を せての用心深い言葉であった。
それだけではない。
数正は長男の康長やすなが を於義丸につけてやるつもりだったし、秀吉もまたそれを望んでいたのに、家康は二男の勝千代をつけてやれと指図したのだ。
このことの意味は味わえば味わうほど意味深いものがあった。
(長男を取られてのでは、これからそちが、秀吉の手前、いっそう苦しかろうでの)
そんなささやきが、さりげない指図さしず の裏にひそんでいる。
「ありがたき仕合わせに存知まする・・・・」
数正が感情を押えて顔をあげると、
「数正!」
と、作左は、席を立ちながら、
「こんどはおぬしの意見が通った。が、それでわれらの不満が消え失せたのではない。おぬしは軟弱派じゃ。が、徳川の家中には、硬骨こうこつ で鳴る者どもが、おぬしの扱いにこぶし をふるわして怒っているのを忘れるな」
そう言い捨てて、肩を怒らして出て行った。
それも数正には苦しくもありありがたいものにひびいた。
(ああして作左は、みずから硬派をよそおいながらみんなの不平のせき になろうとしている・・・・)
こうして、本丸の広間に、秀吉の使者、富田左近と津田隼人の両人が正式に案内され、秀吉の書簡と口上を伝えたのは、もはや、あたりが暮れかけてからであった。
はじめそれを受領したのは、本多作左衛門重次と、酒井左衛門尉忠次、それに副役そえやく として石川伯耆守数正も同席した。
そして、続いて家康が出て来て酒宴に移る前に、直接返簡と口上とが告げられた。
ほとんど即答にひとしいこの扱いに、秀吉の使者は、びっくりして顔を見合わせていた。人質ではなくて養子だったなどという詭弁きべん に、二つ返事で応じたばかりか、
「そのご好意にこたえるため、家康みずから年内に於義丸を連れて参上する。そう申されたい」
あっさりと先手せんて を打たれたので、何も言うところはなかったのだ。
その夜は五ツ半 (九時) 過ぎまで、主客の間をにぎ やかに酒盃がまわり、秀吉の使者は、翌四日の早朝、久しぶりに晴れた青空を仰いで上機嫌で浜松を発っていった。
そして数正が、於義丸出発の打ち合わせのために、本多作左衛b門の屋敷を訪れたときには、すでにそこへ於義丸も呼び寄せられてやって来ていた。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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