本多佐渡にとって、この家康の、さりげないつぶやきほど大きな驚きはなかった。 祖父代々の血を吸った徳川家の旧領を、そっくりそのまま召し上げられて関八州を与えられる。 この事に重臣たちが、どれほど大きな不満を抱くかが本多佐渡の心痛の種であった。 (それを押えるためには、とにかくそれぞれの所領を増やしてやるよりほかにない) そう考えて、家康の諮問
に答えられるよう、秘かに、井伊は、本多は、榊原は、酒井は、大久保はと、それぞれ城と領地の割りふりを考えている佐渡であった。 その佐渡に、家康は今ハッキリと、家臣に多くは与えぬぞと宣言したのだ・・・・ なるほど理由は明確だった。封禄
の多きをのぞんで仕えるような家臣ばかりでは、関八州の統治は至難に違いない。 と、言ってそれで果たして家中の不満不平が押さえられるものであろうか・・・・? 「佐渡」 「はッ」 「わしはな、作左めが、なんであのように、関白の前でわしに喰ってかかったか、あの諌言の意がはじめてわかった」 「作左衛門どのの・・・・あれを、諌言とお取りなされまするか上様は」 「そうじゃ、ありがたい諌言であった!
あれはのう佐渡、もう一度封禄の多少を言わぬ者どもで、家中を固め直して八州へおもむくように。さなくば関白が術中に陥ろうぞという爺
一流の苦肉のいさめであったようじゃ」 「なるほど・・・・」 「そして、爺みずからが、禄などで仕えるものではないぞと言う手本を示した」 本多佐渡の眼は複雑に動いていった。彼のとってこれほど痛い喝棒
はなかった。家康を補佐するつもりで、自分の政策を真っ向から叩き割られた感じなのだ。 「佐渡よ」 「はッ」 「それゆえな、所領と城とはどこまでも実力第一で割り振らねばならぬぞ」 「はッ」 「不平の徒あらば、家康がもとへ呼び出せ。納得のゆくように説く努力は、家康も怠るまい」 「なるほど、これは恐れ入りました。そうのうては、新領の束
ねはつきかねましょう」 「新領の束ね・・・・と、申したの」 「はいッ、気風荒い坂東武者、よほど心を締めてかかりませぬと」 「ハハ・・・・」 「何をお笑いなされまするので
」 「佐渡よ。わしは新領の束ねだけを考えて言うのではない。さるお方の天下を監視する・・・・それには並の結束、並の我慢ではならぬと申しているのだぞ」 佐渡は、再びギクリと言葉に詰まった。 家康は、ゆっくりと馬を打たせながら、その眼をじっと東へ向けている。 負くるを知らずに滅んだ北条氏の小田原城を足場にして、東へ向かう家康の構想は、すでに胸奥
で静かに?醸
しているらしい。 叩こうとする秀吉の矛
は巧みにかわし、ここで家中を締め直そうという・・・・ いつか陽は山の端にかくれて、左にひらけた海の上が燃えるような夕焼けに変わっている。 佐渡はなぜともなしにきゅっと胸が熱くなった。
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