九月十三日に、あれだけ天下の耳目
をおどろかせて上京して来た北の政所が、二十四日にふたたび大坂へ帰ると聞いて人々はびっくりした。 聚楽第のうちではかえってその想像に怖
えて誰も噂を口の出し得る者はなかった。 しかし、市民の間では口から耳へ、耳から口へと、幾つかの流言が奔流
をなして流れた。 「──
聞いたか関白さまご夫妻のいさかいを」 「── おう、何でも、浅井長政の姫を側室にすると殿下が申されたのを、北の政所がお怒りなされてのことだということではないか」 「──
それはとんだ間違いじゃ。何しろ貧しい足軽の出だからのう。北の政所さまも、聚楽第をご覧なされてびっくりし、このような栄華はせぬようにとご意見なされた。それを殿下がカンカンに怒られて・・・・」 「──
いや、それも違うぞ。わしの聞いたところでは、北の政所さまが口を利かれて肥後の太守になられた佐々成政どの、あの方の領地で切支丹の一揆が絶えない。それで女だてらに政治向きのことに口出しするゆえこうなるのだと殿下がお叱りなされたそうな。すると、北の政所はあのご気性で負けてはいず、とうとう大いさかいになったのだということじゃ」 「──
わしの聞いたのは、何でも殿下の女房狩が過ぎたのだということだったがのう」 「── 女房狩!?」 「──そうじゃ。戦がなくなればすることはない。それで関白は若いおりは女道楽ひとつするお暇
のなかったお方じゃ。この辺でそろそろ
──」 「── それはこなた自身のことであろうが」 「── いやそうではない。確かな筋から聞いたことじゃ。故信長公の姫、前田
さまの姫・・・・は、まだよいとして、浅井さまの姫から、利休居士の娘で万代屋
の後家
、それに光秀の娘で細川さまの奥方になられておわすお珠
の方まで召し出そうとしたそうじゃな。つまり始めは身分のある未通女
だったが、だんだん舌が肥えられての、それで、たまりかねて北の政所が諫言なされたのだそうな」 言うところ、聞くところは違っていても、寧々の大坂帰城が関白夫婦の喧嘩とされている点ではどの噂も一致していた。 その噂の中を、寧々は聚楽第を出て淀から船で大坂へ下った。 途中の行列も彼女の申し出で来る時の五分の一にも足りなかったし、侍女はわずかに十数人だった。 淀で御座船
に乗りかえると、寧々はじっと秋空の彼方に聳える京の山容に視線をやって動かなかった。 自我を押し通したあとの侘しさよりも、何かしら見の引き締まる感慨だった。 (良人を戦場に残してゆく・・・・) そんな割り切った感情ではなくて、寧々自身、はじめて戦場へ出向いてゆくような昂奮が皮膚の下をあらあらしく走っている。 (妻もやはり孤
りなのであろうか?) いや、そうではない。寧々はどこまでも良人に従属した妻ではなくて、良人と対等に生きてゆく女性の典型でありたかったのだ。 (あの人がどのような目的を掴んでゆくか。それを大坂城で静かに見守っていってやろう・・・・) しかし、それとは反対に、自分の人生に突き刺さったトゲの痛みは大きかった。寧々はそれと闘おうとしてまばたきもせずに遠ざかる京を見ている・・・・ |