〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]-T』 〜 〜

2011/12/29 (木) 頂 上 (十三)

造化の主神は時おり、自分の製作した人間に意地悪いたわむ れを仕かけて来るものだった。
いや、それは戯れではなくて、あるいは深い意味を秘めたいたわり・・・・ なのかも知れない。
秀吉は、ふと自分の人生に 「絶頂 ──」 を感じ取ったあとでパッと明るい、想像もしなかった別の世界へほう り出された。
今までは、彼はどうして茶々姫を京へ移そうかとそれに腐心ふしん していたのだが、有楽に茶々姫の懐妊を匂わせられると、それは全く違った期待に変わっていった。
(わしに子供が・・・・)
できるかも知れないというわずかな可能性だけで、どのようなこともせねばならぬという決心に変わっている。
「のう有楽」
「はッ」
「姫は北の政所や大政所とは同行しない・・・・それはよいとして、京ではどこへ住む心であろうかのう?」
「さあそれは・・・・?」
「お身にわからぬことはあるまい。こうなれば、もはや内証にはできぬことゆえ、正式に側室と発表するが、その後の事じゃ。おなじ聚楽に住もう気かそれとも・・・・」
「恐れながら」
「何か洩らしておるな。何と申したぞ?」
「聚楽第の奥のあるじか、さなくば十万石ほどの城一つ・・・・などと戯れのように洩らしてはおりましたが」
「なに、十万石の城一つ・・・・ハハ・・・・しかし聚楽と遠い地に城を持ったのでは思うに任せて会うこともなるまい。が、聚楽の奥のあるじ・・・・と、なると、これは難題だぞ」
「むろん、本気で申されたかどうかは相わかりませぬことで・・・・」
「聚楽には寧々がおる。寧々をさしおいて阿茶々を・・・・というわけには行かぬ」
「そのようなことは、姫も考えてはおりますまいかと」
「すると、甘えか戯れじゃの」
「しかし、まるきり戯れとお考えなさるのもちと・・・・」
「ふーむ」
秀吉はもう一度楽しそうに首をかし げて、
「よし、考えよう。わしが直接寧々に頼もう。寧々とて、あれが信長のめい であることは知っての上じゃ。決して粗略には扱うまい」
有楽はもう返事をしなかった。
今日はこれだけで充分な収穫だった。北の政所の侍女ともつかず、はしため・・・・ ともつかぬあいまいな身分で京への行列に加わることは嫌だというのが茶々姫の主張であった。その主張はもう完全に通っている。秀吉は寧々と茶々の位置をどうしようかと、それへ空想を飛ばしているのがよくわかった。
「あとからひそ かに船で移して貰うての、しばらくは、今までどおりお身の手もとへ預かりおくのじゃ。そのうちにわしが茶々の気の済むように考えよう。そう申しておいてくれ。もしみごもってあったら、特に体に気をつけるようにとのう」
秀吉はそこで視線を宙へそらして、フフフと笑った。
いつもの底意地の悪い彼ならば、これほどたやすく有楽にかつがれるはずはなかった。その意味でも 「子供 ──」 のことは秀吉にとって一つの大きな弱味らしい。秀吉は、まだひとりで笑いを納めなかった・・・・ 

徳川家康 (十三) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ