(事によると、この老人は、主人数正の心のうちをすっかり汲みとっているのではなかろうか) そう思い出すと、金内はひどく心が乱れた。 「それでよいのか。それではその石は生きまいぞ」 「いいや、これで戦いましょう」 「待ったをせよ待ったを。そこで討ち死にするようでは若い。それでは数正についてはゆけぬぞ」 金内はじろりと上目で作左衛門を見返して、 「では、仰せのとおり待ったをいたしまする」 「ハハハ・・・・考えたな。考えろ考えろ。よく考えて、誤った石は打たぬものじゃ」
そこへ倅
の仙千代が燭台をささげて入って来た。気がつくといつかあたりは夜になりかけている。 「膳の用意ができましたが」 「待て!」 と、作左は仙千代をおさえて、 「いま、その方の仇を討っている。しばらく待て」 そう言ってから思い出したように、 「のう金内」 「はい、何でござりまする」 「念仏道場のこと、殿は心にとめおくと申されたぞ」 「は・・・・?
念仏道場、でござりまするか」 「そう申せば分る。さ、次を打て」 やがて金内はそっと石を置いて頭を下げた。老人は口ほど碁は強くなかった。しかし、ここで老人に勝ってはかえって負けになりそうな気がして、金内はわざと四、五目負けてやった。 「膳を持て」 老人はいかにもうれしそうに、 「どうじゃ。やはり参ったであろう」 「参りました」 膳が出ると、老人はまた、ひどくむっつりとした顔になって、何を考えているのか、ついに金内にははっきりとそれがつかめなかった。 (口ほど憎んだり、反感を持ったりしてはいないのだが・・・・?)
その夜金内は床に入っても、もう一度、ゆっくり作左衛門の言葉を味わい直した。しかし、出てくる答えは、 (怒らなくてよかった!) ただそれだけで、何か老人に近寄り難い一戦がカチンと心に残っていった。 (あるいは主人に、これで分るのかも知れない・・・・) 六ツに床をはなれて出立
の支度をしていると、すぐまた仙千代が全をささげて入って来た。 「ご造作をかけました。何とぞお父上さまによろしゅう」 食事が済んでも作左衛門は姿を見せなかったので、金内は、そのまま玄関へ立ってハッとなった。 作左衛門は玄関口から外へ出て、金内を見送ろうとして待っていたのだ。 「これは、わざわざ、恐縮千万でござりまする」 「世辞を言うな」 「は・・・・?
世辞などでは・・・・」 「もうよい。客を見送るは作左が家風、気をつけて参れ」 「はッ、ではご老体にもお体を」 「言わなくとも大事にする。おれの体じゃ」 そのくせ、金内が一礼して門を出てゆくと、その後ろ姿に向かって丁寧
に頭を下げてゆく作左衛門であった。 おそらく、渡辺金内は、作左の心にかなった、立派な石川家の家老だったのに違いない。 金内は足を早めて、なだ濃い朝霧の中へ消えていった。
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