〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/10/03 (月) 硬 骨 軟 骨 (十一)

(事によると、この老人は、主人数正の心のうちをすっかり汲みとっているのではなかろうか)
そう思い出すと、金内はひどく心が乱れた。
「それでよいのか。それではその石は生きまいぞ」
「いいや、これで戦いましょう」
「待ったをせよ待ったを。そこで討ち死にするようでは若い。それでは数正についてはゆけぬぞ」
金内はじろりと上目で作左衛門を見返して、
「では、仰せのとおり待ったをいたしまする」
「ハハハ・・・・考えたな。考えろ考えろ。よく考えて、誤った石は打たぬものじゃ」
そこへせがれ の仙千代が燭台をささげて入って来た。気がつくといつかあたりは夜になりかけている。
「膳の用意ができましたが」
「待て!」 と、作左は仙千代をおさえて、
「いま、その方の仇を討っている。しばらく待て」
そう言ってから思い出したように、
「のう金内」
「はい、何でござりまする」
「念仏道場のこと、殿は心にとめおくと申されたぞ」
「は・・・・? 念仏道場、でござりまするか」
「そう申せば分る。さ、次を打て」
やがて金内はそっと石を置いて頭を下げた。老人は口ほど碁は強くなかった。しかし、ここで老人に勝ってはかえって負けになりそうな気がして、金内はわざと四、五目負けてやった。
「膳を持て」
老人はいかにもうれしそうに、
「どうじゃ。やはり参ったであろう」
「参りました」
膳が出ると、老人はまた、ひどくむっつりとした顔になって、何を考えているのか、ついに金内にははっきりとそれがつかめなかった。
(口ほど憎んだり、反感を持ったりしてはいないのだが・・・・?)
その夜金内は床に入っても、もう一度、ゆっくり作左衛門の言葉を味わい直した。しかし、出てくる答えは、
(怒らなくてよかった!)
ただそれだけで、何か老人に近寄り難い一戦がカチンと心に残っていった。
(あるいは主人に、これで分るのかも知れない・・・・)
六ツに床をはなれて出立しゅったつ の支度をしていると、すぐまた仙千代が全をささげて入って来た。
「ご造作をかけました。何とぞお父上さまによろしゅう」
食事が済んでも作左衛門は姿を見せなかったので、金内は、そのまま玄関へ立ってハッとなった。
作左衛門は玄関口から外へ出て、金内を見送ろうとして待っていたのだ。
「これは、わざわざ、恐縮千万でござりまする」
「世辞を言うな」
「は・・・・? 世辞などでは・・・・」
「もうよい。客を見送るは作左が家風、気をつけて参れ」
「はッ、ではご老体にもお体を」
「言わなくとも大事にする。おれの体じゃ」
そのくせ、金内が一礼して門を出てゆくと、その後ろ姿に向かって丁寧ていねい に頭を下げてゆく作左衛門であった。
おそらく、渡辺金内は、作左の心にかなった、立派な石川家の家老だったのに違いない。
金内は足を早めて、なだ濃い朝霧の中へ消えていった。

「徳川家康 (十) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ