〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part \』 〜 〜

2011/09/18 (日) 玄 蕃 崩 れ (八)

そういえば、前田勢にははじめから戦意が感じられなかった。
おそらく利家父子は、柴田勝家に対するよりも、はるかに深い友情を、秀吉に抱いていたのではなかろうか。
さすればいずいれのためにも兵は損ぜず、勝負の決まったところでひとまず越前府中のおのが城に引き取って、善後策を講じようとするに違いない。
したがって、前田勢が戦場を離脱したということは、すでにこの局面での勝敗は決まったとみられたことであった。
しかもその戦場離脱のあとを追って、秀吉勢は明神山から佐久間勢の退路を断つ態勢で一気に馳せ下って来たのである。
前田勢がわざわざうしろを振り返って盛政に攻めかからずとも、追いすがって来る秀吉勢は、それ以上の効果を上げ得る結果になり、裏切られたのと同じであった。
「ハッハッハ・・・・」
盛政はもう一度割れるような声で笑った。
戦場にあって日和ひより しているのは、あるいは、前田父子だけではなさそうだ・・・・と今になってその事も分って来た。
金森長近の軍勢も、不破勝光も小松城の徳山五兵衛秀現ひであき もおそらく前田父子と同じ気持ちでいるのではなかろうか。
「ここにあっては危うござりまする。敵は破竹はちく の勢いで、三方から押し寄せて参ります」
「分っているわい!」
と盛政は笑いを納めてつば をとばした。
「意地ぎたない味方を、味方と頼んだこの盛政のたわけさよ。勝政、安政、さらばじゃぞ」
そう言うと、盛政はいきなり近侍から手綱を取って馬首を敵に向け変えると、まっしぐらに権現坂高地を馳せ下った。
これで集団としての佐久間勢は完全に崩れ去った。
盛政のあとを追うもの、前田勢にまぎれ込んで遁げる者、谷間に身をかくす者、旗を巻いて降る者・・・・
それらの人々の上を、やがて秀吉の馬標うまじるし が、燦然さんぜん と午前の陽を反射しながら怒涛どとう のように北へ押し渡った。
この進撃は、どこまで続くのであろうか?
あるいはこのまま秀吉は、一気に越前へ雪崩なだ れこんで行くのではあるまいか?
ところが、どの陣地からもよく見える峰通りを文室山まで押し寄せて、一気にそれを手中に納め、そこの敵を追い降すと、集福寺坂まで追撃を敢行かんこう した秀吉は、ぴたりと兵を停めてしまった。
文室山の麓の小高い丘である。
時に正午。
「よしッ、みな休め、休んで腹を作れ」
秀吉は自分でもすぐに幔幕を張らせ、床几しょうぎ をおろさせ、はじめてかぶと を近侍に渡した。
「これで予定どおり「だったの。よいか覚えておけよ。うま の刻前じゃぞ。まだ。午の刻の前は朝のうちじゃ・・・・ハハハ・・・・とうとう朝のうちにのう」
そこへ続々と、手柄を競った荒武者どもが到着する。
そして間もなく、集福寺坂の森から村一帯は、兵の昼寝でうめつくされた。
誰も彼も、勝ってみて、はじめて棉のように疲れているのに気がついた。

「徳川家康 (九) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ