服部半蔵が引き立てられてゆくと、井伊万千代もそっと小姓たちをうまがして退っていった。 家康をしばらく一人でおいてやろうという労りらしい。 家康はそれを止めようとはせずに、じっと庭の雨脚を見つめていた。 築山御前も死んだ・・・・ 三郎信康も死んだ・・・・ 八歳から十九歳まで、駿府で過ごした長い半生の形見は、これで泡沫
のように消え去ってしまったのだ。 築山御前に瀬名姫を家康にめあわせた今川義元がいちばん先にこの世を去り、義元にぜひわが家の婿にと熱心に懇望した御前の父の関口
刑部 親永
は、義元の子の氏真のために詰め腹を切らされた。 その氏真はいまどこで何をしているのか? 噂によれば、父を討たれた信長のために、京で、蹴まりを催
して見せたという・・・・ 家康をいじめつづけた信玄もすでになく、世は一変して織田方のために爛漫
と春を移した。 (そして、その余風をうけて信康も・・・・) と、考えると、全身の力が抜けて、何をする気も失せそうだった。 「三郎・・・・」 と、家康は口の中でつぶやいた。 「この父が泣いて取らそう。ふびんな奴め」 しかし涙はすぐには出て来なかった。 どこかで、これでよいのか?
と鋭く自分を責めつづける声が聞こえる。 (妻も子も殺されて、そのまま織田の風下に立ってゆくのか・・・・) 一つの坂で難渋して、それより先へ登ろうとしなかったら、車はやがて坂下へ狂ったように落ちだすに違いない。 いつか家康はしっかりと脇息をつかんで息をこらしていた。 (この坂を見事に越えてみせねばならぬ・・・・)
それだけが信康の死を生かすたった一つの道であった。 「三郎!」 と、また家康はつぶやいた。 「そなたの死は、この父に、いちばん足りないものが、何であったかを知らせてくれたぞ」 そう言うと眼の前に、豪雨の中を大浜から忍んで来たときの悄然とした信康の姿が見えて来た。 「わしは武だけを重んじすぎた・・・・この家康の肚を読み、諸将と巧みに駆け引きできる家臣を身近に持たなんだ。今後はこれに懲りようぞ」 そう言えばたしかに家康の旗下
は武辺者 ぞろいであった。朴訥
で生一本 で、それだけに怒りやすく、乗じられやすかった。 今度の事なども、酒井忠次と大久保忠世に今少し手腕があったら、これほど悲惨なことにはならなかったように思える。 「──
信康を罰するなどもってのほか、それでは東をおさえる力が半減いたしまする」 そう言い切ったら、信長も是非にとは言い得なかったかも知れない。 いつかあたりは雨のうちに暮れかけていた。 家康はいぜんとして脇息をつかんだまま動かない。 遠くで燭台の用意にかかった人の動きがかすかに聞こえるほかは、城全体が肩を落として息をつめている感じであった。
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