人間が、一つの道を、どこまでも押し進もうとすることは、このようにつらく難儀なことであろうか。 (信康!
この父も口惜しいのだ・・・・) 家康はそういってやりたかった。 信長が、天下のためにと、真正面から挑んで来たこんどのこと、こっちも後へ引けなくなったのだ・・・・と。 が、その思いを言葉にしては、この父の一分が立たぬと、そちには察しがつかぬのか・・・・ 「お父上!
お願いでござりまする。お父上だけはこの信康、二心はないと信じている・・・・たった一言! それだけ仰せ聞け下さりませ」 「・・・・」 「お父上!
なぜ黙っていられまする。お父上もまた、まことこの信康が、勝頼に内応していたと思し召されまするか」 「・・・・」 「その疑いを受けたままで、祖父や曾祖父のもとへゆけとは・・・・あまりにもむごいとおぼされませぬか」 「たわけめっ!」 家康は眼をつむるかわりに、カーッと大きく信康をにらんでいった。 が二人の視線はどちらも相手に通ずる力はなく、空
しく虚空で火花を散らすばかりであった。 家康はたまりかねて、 「その・・・・その、たった一つの申し条、それが未練と気づかぬか。謹慎しろと命じられて、うぬはその我慢
もできぬやくたいなしかっ」 信康はぐっと片ひざ立てて、しばらく何も言わなかった。 「これほどまでに申し上げても」 「くどい。戻れっ」 風雨はまた横殴りに信康をあおった。 びんの毛がいちどに右のほおから左のほおにはりついて、絶望にきらめく眼が恨みを込めて燃えつづけた。 「武将というはな、命じられたまま、泰山
が崩るるとも動かぬものじゃ。よいか。帰っても軽挙はならぬぞ。謹慎と申し渡されたら、あとの命が届くまで、ただきびしく謹慎するがまことの武将じゃ」 信康はしかし、それを聞いている様子はなかった。 彼はすーっと立ち上がると、そばにあった笠をじりりと裸足でふみにじった。 哀願がついに憤怒に変わったらしい・・・・と、思うと、またがっくりと首を垂れてすすり泣いた。 家康は依然として立ったままじっとわが子を見つめている。 「戻りまする。戻りまする・・・・」 小さく二言つぶやくと、肩を落としたまま信康は真っ黒な雨に中へ、よろめくように歩きだした。 歩きだしてすぐ庭石につまづいたのは、あしもとの暗さのせいばかりではなかった。 父だけは、自分の潔白を知っていてくれる
── そう信じ、それにすがってやってきた若者が、その夢も杖も砕かれてしまった絶望の姿であった。 信康は、白い素足の裏を見せてやがてすっぽりと暗に溶け、あとはただ激しい風のうなりと雨の音が残っていた。 |