他人が驚いたり昂奮したりすると、わざわざとぼけた落ち着き方をよそおうのが本多作左のくせであった。 その作左が眼を血走らせ、唇辺の肉をピクピク震わせている。 いや、それよりも、近ごろ信長が、何となく家康の心に気になる影を落としていたせいかも知らない。 しびしく粗暴な言葉づかいをたしなめておいて、家康はすぐに次の問いを出した。 「どうしたのだ。忠次か、忠世から、何か言って参ったのか」 「はい。両人とも、顔色を変えて立ち戻り、ただいま本丸で殿を待っておりまする」 「両人とも顔色を変えて・・・・?」 「殿!
ついに信長め、大きな難題を持ちかけましたぞ」 「石山の本願寺でも攻めよと言って来られたのか」 「なかなかもって、そのようなことではござりませぬ。お愕きなされまするな。岡崎の三郎さまを・・・・」 言いかけて作左は顔いっぱいに憎悪
を見せ、 「わしには言えぬ。早う両人に会うて下されッ」 家康はその一言で、ぐさっと胸を刺されたような気がした。 どうやら彼が密かに恐れていたことが事実となって現れて来たらしい。 「そうか・・・・」 空を仰いでつぶやいたまま家康はもう何も言わなかった。とりわけ急ぐでもなく、狼狽の様子も見せない。だんだん肥りかけて丸みを増した額に、しっとりと汗がにじんで光っていた。 本丸へ入ってゆくと、もう空気はがらりと変わっている。忠次も忠世も妙に小さく肩をおとして坐っていたが、その両側に居並んだ近侍の間に息詰まるような悲憤のただようを感じとった。 「両人ともご苦労であった」 家康はつとめて冷静に、二人を見やり近侍を見やった。 「右府
さまは、ご機嫌であられたか」 「はいッ」 忠世よりも先に、忠次ががっくりと両手をついて頭を垂れた。 「どうしたのじゃ。人払いをせよというのか」 「いいえ・・・・そ・・・・そ・・・・それには及びませぬ」 「それに及ばぬならば申してもよ。何ごとが起こったのじゃ」 「岡崎の若殿と築山御前、いずれも腹切らせよとの難題にござりまする」 「一気に言って忠次は、そのまま顔を畳にすりつけた。 一瞬、あたりへは殺気がシーンと立ちこめた。 「忠次・・・・こなた、それをお請
けして来たのかどうじゃ」 「もってのほか! われらの一存でそのようなこと、お請けできるはずはござりませぬ」 「そうか」 家康は軽く二、三度うなずいて、 「何ゆえのご不審であったぞ」 そういう声は、さすがに深い嘆息になっていた。 「ただいまそれを・・・・申し上げまする」 忠次はおののきながら答えたが、大久保忠世はうなだれたまま一言も口を利こうとしなかった。
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