〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/06/16 (木) 底 を 貫 く (五)

かがり火は朝まで炊きつづけられ、雑兵はそのそばにかがんで眠った。
朝方になって雪はやみ、細い雨になった。武田勢は翌二十三日、三方ヶ原にとどまって首実検から軍議に移っているらしく、まだ双方ともきびしい警戒はゆるめていなかった。二十四日の朝になって武田勢は陣払いするとわかった。
勝頼、山県、小山田の諸将は、ここで浜松城を陥しておこうと主張したらしかったが、信玄は許さなかったらしい。
途中で必ず織田の援軍と出会うであろう。そのときの為に、三方ヶ原で兵糧米ひょうろうまい の消費を節しておかなければならない。大軍ゆえ滞陣は不得策 ── そう見えての陣払いとわかって、はじめて浜松城からは味方の屍体を収めにいった。
あちこちに塚が築かれ、その上に毎日きびしく霜柱が立った。
武田勢の損害四百、徳川方は織田の援軍を加えて千百八十。
かくて悲愁の限りを尽くした元亀三年は暮れ、元亀四年 (天正てんしょう 元年 <1573>) の正月を迎えた。
さすがにこの正月は、浜松城では同輩どうはい 間で賀詞を交わす者はなかった。信玄は暮れの二十八日に刑部着、ここで正月を迎えて戦始めに野田のだ 城をおとしい れようとして狙っている。
家康は元日の早朝、神前に拍手かしわで を打って居間へこもると、身辺に武装をおき、祐筆を遠ざけて窓に向った。
侍帳から戦死者の名を朱線で消して行きながら、
「許せよ・・・・」 と、一人ずつに声をかける。どの名を見ても胸が迫って涙だこぼれてならなかった。
夏目正吉、鳥居四郎左・・・・それらを失った代償に平和が来ているのではなかった。巨大な敵はいま三河をふみにじって通ろうとしているのである。
家康は机上に香をたき、朱筆をおくと縁へ出た。新しい陽がのぼりかけても、空も地上もあざやかに紅がさしている。冷たい風が肌にせまって、ここでもあやうくむせびそうになった。再び見ることのない人の数がふえているのに頬白どもがはじけるようにさえずっている。
「お館さま、歯がための用意が出来ました」
うしろで澄んだ声がした。
お愛であった。家康は軽くうなずいて室内へ引っ返し、すぐに武装にかかっていった。
平服で迎えられる正月ではない。きりりと袖をしぼりながら、
「お愛、負けたのう」
と、笑ってみせた。お愛は大きくひとみ をみはって、
「何が・・・・でござりまするか」
「去年の戦だ。よい経験になったぞ」
「愛は負けたとは存じませぬ」
「ふん」
家康は笑って広間へ出て行った。
広間にはすでにきびしい武装で諸将がずらりと並んで待っていた。彼らの顔色はようやく生気を取り戻し、どれもいっそう以前より不敵な面魂つらだましい になっている。
家康はひとわたりそれを見廻して、
「今年はわららが運命の決する年ぞ」
と、重く言った。みんな、胸をたたくようにしてうなずいた。本多作左衛門が進み出て、
「まずもっておめでとうござりまする」
その言葉に続いて、声をそろえて、
「おめでとう存知まする」
具足の袖がかわいた音をたてていった。

徳川家康 (五) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ