〜 〜 『 寅 の 読 書 室 Part Z』 〜 〜
2011/06/02 (木) 不 如 帰 (十三)
(こやつ、なんという太い神経の男であろうか)
その笑顔は世にも珍しい、育ちの悪い小児に似ていた。体も小さく骨も細い。それでいて、自分から智謀の泉を持っていると信長に言っていたが・・・・
「木下どの、するとそれがしがいては退き戦の邪魔になるとでも言われるか」
「もったいない!」 と、秀吉は答えた。
「ただ、朝倉ずれが追い討ちをさばくに浜松どのを
煩
(
わずら
)
わしたとあっては、あとで秀吉が叱られまする」
「うーむ」 家康は相手の心をさぐる眼つきで、
「おぬし、織田方にも人ありと言いたいのじゃな」
「以ての外な!」
秀吉はまた溶けるように笑った。
「その若さで、義に厚く、大勇あらせられる浜松どの、そのような
得
(
え
)
難
(
がた
)
いおん大将に、もし万一のことがあっては天下の大損でござりまする。ここは秀吉にお
任
(
まか
)
せあって、なにとぞお引取りのほど」
「これはまた、ひどく褒められて遠ざけられたもの、が、そう言われるといよいよ家康も先に退かれぬ気がするが・・・・」
「そこをまげてお引取りくだされ」
「といって、万一木下どのに間違いあらば、それがしの一分が相立つまい。
万々
(
ばんばん
)
大丈夫と言われるのか」
「ハハハ・・・・」 と相手は
屈託
(
くつたく
)
なく笑った。
「それがしの生死、相わからぬ難しい戦ゆえ、お引取り下されとお願い申しておりますので」
「ほほう、おもしろいことを聞くものじゃ」
「浜松どの、われらは
一介
(
いつかい
)
の
足軽
(
あしがる
)
が子にござりまする」
「ご出世の方とは聞いていたが」
「もともと足軽の子ゆえ、生命も軽う扱いまする。どんな戦でも死地とあらば進んで身を投じ、そこで
溺
(
おぼ
)
れるほどならば、更に悔いはござりませぬ。が、浜松どのはご名門ゆえ、それがしのように軽々しゅう動くものではござりませぬ」
秀吉はとうとういつもの癖を出した。どんなにいんぎんに話し出しても途中からは、彼一流のお説教に変わっていくのが常である。
家康は黙って、よく動く秀吉の口もとをみつめていた。
「さようでござりましょう。それがしは今近江の今浜で三万石、手勢はたった七百でござりまする。越前八十万石の軍勢を相手にして
玉砕
(
ぎょくさい
)
してもいささかも惜しゅうござりませぬ。というのは、三万石で全力を尽くしてそれで死ぬように生まれて来ていた人間だったと思えるからでござりまする。が、浜松どのはそうではない。三河、
遠江
(
とおとうみ
)
と、
旭日
(
きょくじつ
)
の昇るように所領をひろげ、今日は六十万石だが、明日はどれだけ伸びるかわからにお方、そのお方を三万石で済む戦に、万一生命をおとさせたらわが大将信長どのも笑われ、この秀吉も死んで
閻魔
(
えんま
)
に叱られまする。まずまずここは秀吉の
算盤
(
そろばん
)
にお従いになりませ」
家康は聞いているというよりも秀吉のふしぎによく動く口もとを眺めていた。
「よかろう。ではおぬしの言葉に従って、この家康は先に引き取ろう。それがしは若狭の小浜から
針畑
(
はりはた
)
を越えて
鞍馬
(
くらま
)
へ出る。それがしが無事に通ったら、おぬしも
安堵
(
あんど
)
して退くがよい」
「これは千万かたじけない。では京で」
家康が立ち上がると、秀吉はちょこちょこと寄って来て、草ずりのほこりを気軽にたたいた。
徳川家康 (五) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ