〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part Z』 〜 〜

2011/05/23 (月) 再 会 (二)

久松佐渡守さどのかみ 俊勝としかつ は、松平元康がたずねて来たと知ると、
「それはまことか?」
人のいい顔いっぱいにおどろ きをきざんで眼を見張った。於大の方はその愕きがもしや元康への警戒心ではあるまいかと、
「殿は、お会い下さりましょうか?」
小声でそっとたず ねていった。
「おお、会わいでか!」
万事は胸にあると言わぬばかりに軍扇ぐんせん で胸をたたいて、
「松平と久松の家の縁は格別じゃ。が、そうそう、すぐにわしは参るまい。おことにあれこれ、つもる話があるであろう。わしはな、あとで、酒盃の用意をしてゆく。それまでにおことは、それ、昔語りと・・・・三郎さぶろう 太郎たろう源三郎でんざぶろう 、長福など、同腹の弟たちじゃ。対面させて。わかったのう」
於大は不意に目先がかすんだ。とりわけ武功の人ではなかった。が、俊勝の胸には、あたたかい人間の血がふつふつと感じられる。
「よいか。おことの大切な客は、この俊勝にとっても、子たちにとっても大切な客ぞ」
「わかりました。では、奥の書院で」
「おお、何はなくとも、心からのもてなしをな」
「は・・・はい」
それから於大は自分の部屋にもどって、三人の子供を呼んだ。
すでに長子の三郎太郎は元服近い十二であったし、源三郎は七つ、長福丸は当歳だった。
それぞれ身支みじ たく を整えさせて、
「合図があったら、三人ともども参るよう」
長福丸の乳母おもとに命じておいて、一人で奥の書院へむかった。於大がやって来てから新しく建てたこの書院の庭には、松と岩の向こうの山ぎあわに静かな竹林を持っていた。
於大はわざわざ遠く縁をまわって、わが子に母の近づくのを感じさせるように歩いた。
部屋の中では松平元康が、ゆったりと上座へすわっていた。供をして来た家来たちは、一人もそばに見えず、書院のうちには元康と久六二人が、交互に扇を動かしながら向かい合っていた。
「これはこれは、ようこそお越しなされました。久松佐渡が家内、於大にござりまする」
於大は波立つ感情をおさえて、入り口に坐った。いまはまだ岡崎城に入っていない。が、松平家と久松家では家格にそれだけの開きがあった。
元康の眼と、顔をあげた於大の眼とが吸い寄せられるようにぴたりと合った。
於大の眼は見る間に赤くなったし、元康の眼はふかい微笑をたたてていった。
元康はつと立った。
そして、久六の前を通って、まっすぐ母に近づくと、母の手をとって、
「そこでは話ができぬ」
と、小さくつぶやき、自分のしとねと並んだ位置へ於大を えた。
「縁あって・・・・」
と元康はまっすぐ母をみつまたまま、
「生まれた時から一方ならぬご造作ぞうさ をかけました。元康、一日も忘れたことはござりませぬ」
そういうと、はじめてその眼にまるく露がふくれた。

徳川家康 (四) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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