義元の豪刀が横に流れ、服部小兵太忠次は、 「あっ!」 と叫んで泥の中へ尻もちついた。形膝を断たれ、斬られた槍の柄をつかんだまま。義元はその時まだそれが織田勢とは気がつかなかった。 酒の上の刃傷沙汰ではなく、陣中の反乱と思ったらしく、 「下郎!
服部とか申したな。誰の手の者だ。憎いやつめ」 服部小兵太のもとどりつかんで顔を見た上、次の一太刀で首をはねようとして近づいた。 と、その時だった。 「小兵太助勢」 おきなりうしろから義元の巨躯に組みついていった者がある。 「無礼者寄るなッ!」 義元は体を振って怒号した。怒号しながら酔ったと思った。股から流れる血のおびただしさもそのせいなら、大地の揺れる感覚もそれであった。 また紫電が頭上で十字の花を描いて消えた。 「うぬは誰の手の者だ」 「毛利新助!
織田の家中だ」 「なに織田・・・・さてはここへ紛れ込んでおったな」 毛利新助秀高
は、それに応えず、胴に捲いた右手をぎゅっと力いっぱい締めていった。 義元の巨体はよろっとよろめいた。脇楯
のつぎ目から、下腹へかけてジーンと熱鉄を突き込まれるような痛みが背筋へ走ってゆく。 鎧通しを突き刺されたのに違いない。 「ウーム」 と、痛みをこらえてもう一度はげしく新助の体を横に振ったが、新助は離れる代わりに、いよいよ両手で胴を締めた。 振られた新助はかろく空を浮いてゆくのに、振った義元は、わが身と新助の二重の重さでつるりとすべった。 腰はくずれた。どっと地べたへ倒れた。倒れたはずみに、敏捷
な新助は、たくみにからんだ手を解いて義元の胸の上になっていた。 「おのれ下郎が・・・・」 義元ははね返そうとしてもがいた。が、まだ雷雨は晴れていない。まともに打ちかかる雨滴のために、義元はわが身の上に馬乗りになっている武者の顔がよく見えなかった。といって、こんなところに自分の死の罠が用意されてあろうとは思いもよらず、 「誰ぞ。曲者を早く・・・・」 はね返そうとしながらもがいた。 「ええ見苦しいッ!」
胸の上の武将は雨すだれの上で唇をゆがめてわめいた。 「今川の屋形ともあろう大将が、素直に首を渡し候え」 「おのれ、抜いているな」 義元はその時はじめて相手がすでに脇差を抜いているのに気がついた。 (ここで死ぬ・・・・そんなバカなっ) 相手の刺そうとする脇差の下で、鎧の重みのもどかしさにカーッとなった。そして、口のそばにあった相手の拳に、おはぐろつけた高貴な歯でがぶりと噛みついた。舌の上に何か残った。指か?
肉か? と、思ったときに、こんどは襟首
へひやりと冷たく、やがてジジーッとただれるような熱さを感じた。 駿、遠、三の太守は、こうして信長の野武士を真似
た新戦法のもとで、毛利新助の指一本を食い千切ったまま田楽狭間の露と消えた。 |