具足が運ばれると、信長は、さすがの藤吉郎さえ眼を見張る素早さでそれをつけた。 駿府の竜はすでに尾張へかかっている。 清洲の虎はたぎり立つ闘志をおさえて機の熟する時を待っていたのだ。 虎は野にあるもの、雲間の竜に闘いを挑まず、まず彼が地上におり立つ時を待って跳躍
を開始する。 籠城と、敵にも味方にも信じさせておきながら。 具足をつけ終わると濃姫はそばから、 「ご両刀は何を とたずねた。 「光忠
、国重 !」 そのやりとりはさながら火花の散るようだったが、その間には一分の隙もない気息の合一が感じられる。 「はっ、光忠これに」 濃姫がたずね信長が答えると、右腕のない長谷川橋助がすでに光忠の脇差をさし出していた。 信長はニコリと笑ってそれを取った。 「国重は?」 「たぶん、それと存じ、国重もこれに」 「ハハハ・・・・」 信長は高らかに笑った。 「勝ったぞ猿!」 「御意
のとおり」 「橋助までが、小賢しくおれの心をあておった。勝ったぞこの戦!」 愛刀長谷部国重を受け取って脇に置くと、深雪は運んで来た三方
を信長の前にすえた。 しかし信長は具足
櫃 に腰をおろそうとはせず、突っ立ったままだった。 「いざお盃を」 それと見て、とっさに濃姫が盃を差し出し、自分の手で酒を注いだ。 信長は一気に飲みほして、こんどはお類のささげる飯椀をとりあげた。 飯椀を取り上げてから、ちらりと四人の子供を眺めて、 「戦とはこうするものぞ。見ておけ」 やはり叱る口調だったので、うなずいたのは奇妙丸だけだった。 あとの子供はおびえたように乳母の周囲に寄り添った。 「ハハハ・・・・」 信長はまたたく間に二椀食べて、箸を置くのと兜
を取るのと、 「貝を吹け」 命じておいて、 「猿来いッ」 太刀をわしづかみにして奥の館を走り出すのとが一緒であった。 藤吉郎はおどりあがる様にして信長の先になった。 「乗馬は疾風
ぞ! ご出陣じゃ。急げや急げ」 わめきながら藤吉郎はふいに涙が出そうになった。この激しい気性で、ここ十日あまり、じっとおのれを押えて来ていた信長の気持ちを考えると、 (ここまでやれる相手なら、この藤吉も死んでもよい・・・・) そうした感動が電撃のように身内を走った。 貝はうしろで鳴り続ける。 「出陣ぞ!
殿はもう馬に召されたぞ」 集まりかけている会所の諸将が、あわてて身支度を整えている頃、もう信長は愛馬の疾風を駆って城門へかかっていた。 |