真っ先に信長の膳が運ばれて来た時に、藤吉郎はしさいらしくその上を点検した。そして、自分の膳をささげて来た小姓の方はわざと見ないようにした。 膳は置かれた。すでに叱られるかどうかの運命は藤吉郎のうしろで決定している。 しかし、藤吉郎はどこまでも落ち着き払って、つつと下がって、自分の膳を見た。 信長もぎろりと鋭くそれを見やっている。 藤吉郎はホッと安堵すると、すぐ信長に向き直って平伏した。 「恐れ入りました。この賭け、猿めの負けでござりまする。ご存分に」 膳の上には大根なますと、香の物と、焼き味噌が載
っているだけだった。 信長の面に苦々しい笑いが浮かんだ。 勝った!
と思うとすぐ逆に平伏して詫びてにせたりする。曲者めがと思うが、詫びた後の理窟をどうつけるかも聞いてみたかった。 「不届き者め、それその方すむと思うか」 「恐れ入りました。こんご、かかる過ちなきよう、よく申し聞かせまする」 「念のためじゃ。何と申し聞かせるつもりかいってみろ」 「はい。平素、節倹
第一を口癖に申し聞かせてありまするため、かような疎略
をいたしました。これではおん大将の前で、われら平素の食味のいかにとぼしきかを当てこすったように相なりまする。おん大将お声がかりの節は、われらにも同じ膳立てをいたしますよう。よく申し聞かす所存にござりまする」 信長は舌打ちして、 「猿め!」
といって、歯をむいたがあとはいわなかった。 何もいいつけてなかったのは、はじめの狼狽ぶりでわかっているのに、運も強いが小面憎
いほど気も働く。これならば生残れるであろうと信長は思った。 「よい。食べよ」 信長は自分で高麗焼きの銚子
からなみなみと酒を注がせて飲みながら、藤吉郎にはやると言わなかった。 しばらく主従は無言で胃袋を満たしていった。 「猿
── 」 「はい、もう十分いただきました」 「飯のことではない。おれはな、今川勢がこの城の大手につくまで寝ていようと思う」 「なるほど、籠城
とならばそれがよろしゅうございましょうな」 「その方も申したとおり、治部
大輔
が浜松へ着こうが、吉田
、岡崎へ参ろうが、敵地へ打って出るわけにはゆかぬゆえ、おれは寝ている。が、尾張へ入ったら、そろそろ眼だけは覚ましていずばなるまい」 「仰せのとおり」 「そこでその方、敵が水野下野の領内へかかったころから、こまかく様子を知らすよう」 「と仰せられると、この藤吉郎めも今度の合戦に加われますので」 「たわけめ、籠城というのは女子供まで戦うものじゃ」 「ありがたき仕合わせ」 「よいか。当日おれは寝ているぞ。そろそろ眼を覚ましてよい時分になったら合図せよ。しかと申し渡したぞ」 給仕の近習は顔を見合わせて小首をかしげていたが、藤吉郎はうやうやしく焼き味噌の湯を飲みながら頭を下げた。 「委細
承知いたしてござりまする」 |