「・・・・狂女の口走りしこと穏やかならず、捨ておけずに討ち取り候と・・・・申し候わばお前さまにかかりし殿のお疑いだけは晴れ申すべく候・・・・」 一語、一語句切って読んで、 「しまった!」
と八弥は唇をかんだ。 (・・・・これが・・・・この死のみが、春のささぐる八弥さまへの操と思し召し下されたく候) お春は狂っていなかった・・・・殿の無情を口には出せず、お側からしりぞけられた八弥のために死んでゆこうとしたものらしい。 狂ったお春が殿の秘密を口走る。殿のために許しておけずに討ち取った
──そう言って広忠の心にわだかまる疑念を晴らし、もう一度お側へもどれるようにというのが、お春の最後の思案らしい。 八弥はそっとお春の顔をのぞきこんだ。もうこときれたときの紅潮はほおから去って、安らかに眠っている純白の顔であった。 「お春・・・・」 八弥はそれにほおずりした。わずかな時間だったが、体温はすでに時雨
の中に吸われている。 「お春!」 とまた八弥はさけんだ。 狂っていなかったら殺すのではなかったと、はげしい悔いが胸をたたいた。 「お春う!」 地の果てまでも一緒に連れて逃げたかった。 「お春!」 三たびほえると、お春の死体を抱いたまま片目八弥は子供のように地だんだ踏んだ。 「お前は・・・・この一途な心を疑われた殿のそばへ、おれに・・・・もう一度仕えよと命ずるのかッ」 雨脚はだんだん太くなって、あちこちの苔
むした五輪をしとしととぬらしてゆく。 「おれはいやだ! いやだ! いやだ!」 お春を抱いて八弥はやたらに近くの五輪をけった。 「よく聞くがよい。亡者
ども。おれの殿はな、何に取りつかれたか疑うことしか知らなくなったわ。おれも殿を疑ごうてやる。だれが信じてやるものか。お春を疑ごうた・・・・このおれを疑ごうた・・・・おれはその返礼に悪鬼になって・・・・」 いいかけてさすがに八弥はぎょっとしてあたりを見た。 悪鬼になってお春の仇を討ってやる・・・・そういおうとしている自分が恐ろしくなったのだ。 忠義第一であろうとして主殺しもしかねない憤怒の鬼になっている。 自分が悪いのか? 殿が悪いのか? それとも世間が悪いのか? 八弥はもう一度お春を見やり、それから並んだ墓を見た。そして、クソ!
と叫ぶと、そばの五輪を傷ついた短い足でしたたか蹴って、そのまま雨の中へ出た。 時雨
れたままあたりは淡く暮れかけている。姿は見えなかったが、空で雁
の声が聞こえた。 「おれはいやだ!」 みだれ毛についた雨滴を、腹立たしげにふりはらって、八弥は寺と境の垣根の破れを出て行った。 「伯母御・・・・お春は、死んでしもうたわ・・・・」 さっきまでお春のいた部屋の縁先にひっそりと伯母は立って合掌していた。
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