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2011/02/11 (金) 井伊直弼の生涯と埋木舎 (四)

嘉永六年 (1853) 六月三日、アメリカ使節ペリー提督が浦賀に来て修交を迫った。
直弼は八月二十九日 「別段存寄書」 を幕府に答申、堂々と正論を吐き、開国を主張したのである。
安政二年 (1858) 四月、大老職に就任、同年六月、日米修好条約に調印、国難を救い、国際協調主義、平和主義の政治、外交を行うも、反対する勢力も存するため、九月頃より 「安政の大獄」 が始まり、翌年まで続くのである。
安政七年=萬延元年 (1860) 三月三日、桃の節句の祝儀に江戸城へ参上の桜田門において、水戸の狼藉者らのテロに倒れる。年齢四十六歳であった。

春浅み 野中の清水 氷ゐて  底の心を 汲む人ぞなき
権力者が国家や国民の為を思い一生懸命政治をしても、なかなかその真意が伝わらず、理解してもらえなかった直弼の心が痛いまでによく表われている和歌である。
桜田事変の二ヶ月前の正月に直弼は、自分の肖像画を描かせ、そこに
あふみの海 磯うつ波の 幾度も  御世に心を くだきぬるかな
と和歌を添えて菩提所・清涼寺へ奉納した。死を覚悟しての大老井伊直弼は真白い春雪を真っ赤に染めて開国の花と散ったのである。その瞬間、直弼の脳裡には権力を持たなかった、しかも貧乏生活、しかし、文化人として充実した青春時代を送っていた 「埋木舎」 での苦しくも楽しい思い出が走馬燈の様にめぐったに違いない。
「埋木舎」 ─ 井伊直弼の青春時代 ─ 著:大久保 治男 発行所:高文堂出版社 ヨリ