先頭集団は賀川の意を入れて整然たるデモに移ったが、後続部隊には賀川のような指揮者はいなかった。デモは巡査の壁と小競り合いを繰り返しながら、川崎造船を目前に望むところへさしかかった。 突如、電気局の窓から、太い釘を打ち付けた板片が、デモの頭上に投げ込まれた。 「なにしやがる!」 「おれたちを、殺す気か!」 労働者は激昂した。怒涛のようなうねりが警護の壁に体当たりし、突き破り、川崎造船めがけ奔流した。 白服の巡査とカーキ色の憲兵が入り乱れて阻止にかかった。 労働者は石を投げて抵抗した。 巡査は抜刀した。騎馬巡査が躍り込んだ。双方入り乱れての乱闘になった。血がほとぼしった。 双方に重軽傷者多数・・・・修羅場の跡には、帽子、千切れたシャツ、短刀の鞘、手帳などが散乱した。 騒動もおさまり、夕方、闘争本部に争議団が集まり、善後策の協議に入った時だった。ダダッと、一団の男がなされ込んだ。 「全員を擾乱罪で検束する!」 賀川をはじめ幹部三十名は、一斉に検挙された。 「賀川豊彦検束」
の知らせをはる夫人が受けたのは、負傷者たちの手当てをしていた時だった。はる夫人の役割は争議者の救護活動であり、その組織が 「覚醒婦人会」 であった。 「主人も、一昨日あたりから、このような事態になるのを心配していました・・・・」 はる夫人は落ち着いていた。 夜になっても、はるは、いくつかの警察署を差し入れの品を持ってめぐり歩いたが無駄足だった。疲れ、ぐったりして家に帰ると、報道陣が取り巻いた。 「賀川先生は、どこにいます。どんな様子でした?」 「ただいま、相生署と三宮署などをまわってみましたが、検束しているとも、いないとも明言してくれません。警察の方が知らぬ知らぬで、どこに引致されているのか、さっぱり不明なので困っています」 そのころ賀川豊彦を留置していたのは、三宮警察署だった。 留置場の中で、賀川は静に騒動の様を回想していた。 「無抵抗の抵抗」
を信条とする賀川は、乱闘事件はもちろん不満だった。しかし、怒涛のように町へくり出した労働者の姿には、感動していた。その姿に、神の子の怒りを見たからである。 留置場の賀川は、その時の光景を次の様に記している。
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『私の目の前にちらつくのは、生田の森から駆け出した菜葉服とカーキ色の労働者が、一目散に下へ下へと走る。あの壮厳な光景である。一人の人間が偉大であるのに、万人の生産者が解放の日の為に駆け出したその光景は、何とも云えぬ厳粛なものであった。 そう、奴隷の国より自由の国へ、制圧の国より解放の国へ、暗黒の国より光明の国へ
── 駆け出す日であった。 火の柱は立った! イスラエルは荒野に出た! 火の柱は立った! イスラェルは紅海を超えた! 凡てが駆け出しの日の為に備えられた。ヨシュアの上に太陽が一日止まって動かなかった』 | (『星より星への通路』) |
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「賀川先生を、おまわりがつかまえたぞ!」 この知らせが貧民窟にもたらされた時、もっとも怒ったのがゴロツキの松井だった。 「ふざけるんじゃねえや!
よし、俺が行って警察に談判してやる」 血相変えて松井は三宮警察署に押しかけた。 「やい、賀川先生はよ、神様じゃぞ。神様をブタ箱へぶちこむ法は、どこにもねえはじだ。
── 賀川先生を、すぐに俺に返せ!」 何度談判しても、松井はつまみ出された。 三宮警察署はバクチや喧嘩で何回となく厄介になった所だった。勝手を知ってる松井は警察署の裏に回り、留置場を巡る外塀をバンバン叩いた。 「センセーッ・・・・センセーッ・・・・
がんばってくれやセンセーッ・・・・」 絶叫は夜になっても止まなかった。 争議は急転直下、労働者側の敗勢に傾いた。 指導者を失った大争議に、総同盟本部は急ぎ鈴木文治、松岡克麿を送り込んだが、すでに敗勢の挽回は出来なかった。 大正十年八月九日。争議団本部は
「罷工団全員の就業」 を宣言した。十二日には 『川崎・三菱争議団」 名で、敗戦宣言を発せざるを得なかった。 |
『吾等ハ武運拙ナク遂ニ惨敗シタ。 四旬ニ亘ル力戦奮斗ニ我等ノ刀ハ折レ、矢ハ竭キタ、茲ニ怨ヲ呑ンデ兵ヲ斂メル、今我ガ胸底ニ痛マシク烙印サレタルモノハ資本家ノ暴虐ト官憲ノ圧制デアル、我等ノ血脈ニ男子ノ熱血ガ漲ル以上何ウシテ此ノ怨ガ忘レラレヨウ、吾等ハ益々社会改造ノ戦意ヲ強メタ、吾等ハ今後更ニ団結ノ威力ヲ養ウ必要ヲ痛感ス、真理ハ最後ニ於テ必ズ捷ツ。我等ハ惨敗シタ、此怨ハ刃ノ如ク前身ニ喰イ込ンデ居ル、悲憤ノ情胸ニ迫ツテ又多ク云ウ能ワズ、我等ハ茲ニ泣イテ兵ヲ斂メル。 | 川崎・三菱争議団』 |
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『一粒の麥は死すとも ── 賀川豊彦』 著:薄井
清 発行所:社団法人 家の光教会 ヨ リ |