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2010/11/22 (月) 布 引 滝

神戸の布引滝は、熊野の那智滝・日光華厳の滝と共に日本三大神滝と呼ばれるが、最も古くから名称が世に知れ渡ったのはこの布引滝である。その時期は、布引滝が平安時代、那智滝が鎌倉時代、華厳滝が江戸時代となる。
古くは藤原京の文武天皇の時代 (700 年頃) に、役小角が布引滝で修行をしたと滝勝寺縁起にあり、在原行平・業平兄弟の滝見物を語った平安初期 (9世紀末頃) の 「伊勢物語」 が一躍この滝を有名にした。
その後、都人などが足しげく訪れ、 「栄華物語」 には関白藤原実、 「平治物語」 には平清盛、「源平盛衰記」 には平重盛、 「増鏡」 には後醍醐天皇の滝見物が語られると共に多くの和歌にも詠まれた滝である。
布引滝の水は、六甲山系の獺池を源流とし、穏やかな流れのトゥエンティークロスに摩耶山・再度山の谷水を集め、布引貯水池を経て谷間に流れ込む。布引滝は、その岩壁の谷間に懸かる雄滝 (落差 43m) ・夫婦滝 (同 6m) 鼓滝 (同 9m) 雌滝 (同19m) の四滝の総称であり、最も上流の雄滝から下流の雌滝までは約200mの距離にある。
ちなみに、平成19年6月に命名された新たな滝として、布引貯水池 (五本松堰堤) が満水時に現れる 「五本松隠れ滝」 がある。
あまり知られていないが、雄滝の落ち口の上流に大小五つの瓶穴があり、これは急流を流れ落ちる水と岩石が数十万年を経て作り上げた、世界的にも稀な自然現象であることが、昭和10年に専門家の実地調査で承認されている。
その瓶穴は、布引滝の竜宮伝説と共に神格化され、上流から第一孔 (深さ 6.6m) は滝姫宮、第二孔 (同 6.6m) は白竜宮、第三孔 (同 6.6m) は白鬚宮、第四孔 (同 5.5m) は白滝宮、第五孔 (同 1.5m) は五滝宮と名付けられている。また、この瓶穴の中で丸く削られた石が、大出水時にたまたま流れ出たものを 「竜宮石」 と呼び珍重されたとのことである。
現在は、雌滝から雄滝へ、そして展望台へと岩壁に階段を交えた滝を巡る回遊路や尾根道があるが、これは明治五年に民間団体の花園社が布引遊園地を開発した際に造成したもので、それまでは雄滝へは砂子山の北側から山道を登り、雄滝茶屋あたりから滝見物をしていた。
その証となる江戸末期の旅行記がある。伊勢の蘭学 (地理学) 者の齋藤拙堂は、天保4年 (1833) 9月に布引雄滝を訪れたときの様子について 「砂子山に登り、さらに険しい山路を登って茶店のある望瀑台に着いた。滝は正面に見える。岩角をたどって滝壺辺りへ降りると滝の飛沫で着物がびしょ濡れになった」 との旨を文献に遺している。
明治33年に上水用の布引貯水池が建造されるまでは、滝水は豊富で滝の飛沫が白玉のように飛び散る様が和歌にも詠まれている。
今はその面影をその和歌などで偲ぶよりないが、年中滝水が涸れることのないように配水施設があり、雌滝の滝壺からは取水して平野浄水場へ送り上水として使用する仕組みになっている。

明治五年から蘇った和歌の散策道 布引三十六歌碑の案内 著:松原 壽一 ヨリ