〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/15 (月) ベートーヴェンの思想断片 (一)

    音楽について
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「さらに美しい」 ためならば、破り得ぬ (芸術的) 規則はない。
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音楽は人々の精神から炎を打ち出さなければならない。

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音楽は一切の知恵・一切の哲学よりも高い啓示である。・・・・私の音楽の意味をつかみ得た人は、他の人々がひきずっているあらゆる悲惨から脱却するに相違ない。
(1810年、ベッティーナに)
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神性へ近づいて、その輝きを人類の上に拡げる仕事以上に美しいことはなにもない。
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なぜ私は作曲するか? ── (私は名声のために作曲しようとは考えなかった) 私が心の中に持っているものが外へ出なければならないのだ。私が作曲するのはそのためである。
(ゲーリングに)
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「霊」 が私に語りかけて、それが私に口授しているときに、愚にもつかぬヴァイオリンのことを私が考えるなぞと君は思っているのですか?
(訳者注 ── 提琴家シュッパンツィッヒが 「ベートーヴェンの作るヴァイオリン曲はいい音色に弾きにくい」 と不平をこぼしたのに対するベートーヴェンの答えである。)
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私のいつもの作曲の仕方によると、たとえ楽器のための作曲のときでも、常に全体を眼前に据えつけて作曲する。
(詩人トライチュケに)
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ピアノを用いないで作曲することが大切であります・・・・人が望みまた感じていることがらを表現し得る能力は ── こんな表現の要求は高貴な天性の人々の本質的な要求なのですが ── 少しずつ成長するものです。
(オーストリアのルードルフ大公に)
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描写 die Beschreibung eines Bildes は絵画に属することである。この点では作詞さえも、音楽に比べていっそうしあわせだといえるであろう。詩の領域は描写という点では音楽の領域ほどに制約せられていない。その代わり音楽は他のさまざまな領土の中までも入り込んで遠く拡がっている。人は音楽の王国へ容易には到達できない。
(ヴィルヘルム・ゲルハルトに)
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自由と進歩とが芸術における目標であることは生活全体におけると同様であります。われわれが昔の巨匠たちほどに確乎としてはいないにしても、しかし少なくとも文明の洗練は私たちの視野をはるかの広く押し広げました。
(ルードフ大公に)
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私は作曲が一度出来上がると後からこれを修正するという習慣をもたない。私が決して修正しないのは、部分を変えると全作品の性格が変わるということは真理だと悟ったためである。
(エディンバラの出版者ジョージ・トムスンに)
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純粋な教会音楽は、グロリア (神に栄あれ!) の部分、またはこの種の聖句の部分を例外として、ただ声楽だけで為さるべきだろう。私がパレストリーナを好むのはその故である。しかし、バレストリーナのような精神も宗教的信仰も無い者が彼を模倣するのは愚である。
(オルガニストのフロイデンベルグに)
『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ
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