〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/13 (土) ベートーヴェンの生涯 (二十一)

凡庸なヴィーンの聴衆もこの巨人的作品にはさすがに圧倒せられた。ヴィーンの朝三暮四流もしのため一時は熱狂した。しかし彼らの口にはロッシーニーとイタリア歌劇の味の方が適していた。 ベートーヴェンは屈辱と悲しさとを感じてロンドンへ住みに行こうとした。彼はそこで 『第九』 の演奏をさせるつもりであった。1809年の場合と同様に今一度、 ベートーヴェンがオーストリアを去らないようにと彼に懇願したのは、彼の味方である数人の貴族たちであった。
── 彼らは書き送った ── 「あなたが一つの新しい宗教音楽曲を作曲せられ、あなたが深い宗教的信仰・・・・・・・から霊感されていられる感情をその作によって表現せられたことをわれわれは承知しています。あなたの偉大な魂を貫流するこの世ならぬ輝き・・・・・・・・がお作を照らしています。さらにまたわれわれは感じています。まだ完成していないすばらしい幾多の交響曲の花の鎖の中には、さらに一つの新しい不朽の花が咲き出ようとして輝いていることを。・・・・万人の眼が待望の中にひたすらあなたに向けられていることは今さら申すまでもありません。
また、われわれが音楽の領域で誰にも優る至高者と呼ばざるを得ないその人が、目下の音楽界の実情を ── すなわち、外来の音楽がドイツの土地、名誉あるドイツ音楽の領土に陣取り、ドイツの音楽が外来の甘ったるい音楽の影法師にしか過ぎなくなっているようなこの現状を無言をもって (あなた御自身の作品を示されずに) 眺めていられるのを知ってわれわれの心が悲しみの念に打たれていることもまた申すまでもないことです。
・・・・祖国の芸術は現下の流行がいかにあれ、新しい開花と若返る生命と、そして真実なるもの美しきものの新しい征服的支配力とを、正にあなたからこそ待ち望んでいるのです。・・・・まもなくわれわれの待望は充たされるという希望のぞみをわれわれにお与え下さい。・・・・新しい歳の春が、われわれのためまた世の中のため、あなたの新作品の開花の故に、どうか二十の開花を持つことになりますように!」
この気高い志向の表明は、 ベートーヴェンが当時のドイツの選良エリート の上に及ぼしていたところの、芸術的のみならずまた精神的モラールな影響力がどんなに深いものであったかを証明している。彼の賛美者たちが彼の天才力を讃えようとするとき、まっ先に口に出す言葉は、知識についての語でも芸術についての語でもなくして、まさに信仰について言おうとする言葉なのである。
これらの言葉を読んで ベートーヴェンは深く感動した。彼はヴィーンに留まった。1824年五月七日ヴィーンにおいて 『荘厳な弥撒曲』 と 『第九交響曲』 とが初演せられた。成功は凱旋的であった。それはほとんど喧騒煮まで陥った。 ベートーヴェンがステージに現れると、彼は喝采の一斉射撃を五度までも浴びせかけられた。礼儀的なこの国では宮廷の人々の来場に際しても三度だけ喝采するのが習慣であった。警官が喝采の大騒ぎを鎮めなければならなくなった。第九交響曲は気狂いじみた感激を巻き起こした。人々は彼をシントラーの家に搬んで行った。彼は着のみ着のまま飲まず食わずその夜と次の午前中をうつうつと眠り通した。
しかし勝どきもつか の間であった。その物質的効果は ベートーヴェンにとっては、まるで無かった。音楽会は少しも儲かっていなかった。金銭上の窮迫は、彼の生活の中でちっとも改まらなかった。依然として彼は貧しくて病身で孤独であった。 ── とはいえ彼は今や勝利者であった。 ── 彼は人々の凡庸さを征服した勝利者であった。自己自身の運命と悲哀とに打ち克った勝利者であった。
「生活の愚劣な瑣事を常におんみの芸術のために犠牲とせよ!神こそ万事に優れる者!」

『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ