〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/11/08 (月) 『新・平家物語 (十三)』 P−103 〜 P−106

いくたびか、矢筈やはず へ指をかけてみては、
「ああ、いけない」
と、余一は思いとまった。
まとかたち は、かなたの小舟の上にある物だが、しかし、ほんとの的は、自分の胸の中心にある。
── もし、射損じたらという雑念ぞうねん が、容易に追い退 けきれないのだった。それは、体のどこかを硬めている。不自然なものにしている。
海陸の敵味方数千が、鳴りをひそめて、自分一点を見すましているという意識も邪魔であった。しいて 「── 無我にならん」 とするそれさえも、すでに雑念の一つだった。
純粋な無我ではない。
こうして、心の的さえ、なかなか定まらない上に、漾々ようよう と揺れやまないうな づらは眼を平行線にある感じに近く、思いのほか風さえあって、波に乗せられている自分、波間に揺れ動いているかなたの小舟の扇。ともすれば、幻覚にとらわれやすい。
「あせっては成らじ」
と、余一は自分へ言った。それはもう自己への敗北感に近い。ともすれば、視覚すらも乱れてしまう。
視覚の定まらないのは、夕陽と波映のせいだった。ふと厚い雲のまく にそれが隠れた。
一瞬いつとき 、海は青い夜みたいな沈みを呈した。それは、いったん矢つがえを休めて、余一が、駒を屋島の方へ向けて泳がせてゆき、また、馬首をめぐ らしつつ引っ返して来たときだった。
なんとはなく、余一の胸に、 「今だ」 という直感が走った。
── とともに、何か、吹き抜かれたようなすがすがしさとちもに、身のうちから、
南無なむ 八幡はちまん だい 菩薩ぼさつ
と、自然に口へ出、つづいて、
「年々、奉射ぶしゃ し奉りたる香取の神、もし今もって、迷悟めいご を抜けぬわが弓ならば、矢を海中へ折り捨てて余一宗高に死をくだ し給え。またもし、少年の日より、年ごとの奉射ぶしゃ を怠らざるの い、きょうにあらしめ給うなれば、あの扇の真ん中に、余一の矢を あてさせ給え。── あわれ、ふるさとの那須なす温泉ゆぜん 大明神だいみょうじん 、亡き父上や母たちも護りてよ」
と、祈念きねん するともなく、念じていた。
引き絞られた弓は、まん を描いた。矢柄やがら は冷やっこく彼の右のまなじり でて眼なりに通ってゆき、その矢バネは深々と耳の後ろまで引かれていた。
が、まだ放たず、余一は狙いすましたままだった。扇との距離は七、八だん 、矢頃と思われた。またそれは当たる気がした。なぜか素直な中にそんな暗示がふと心をかすめたのである。
キ、キ、と弓が いた。つる も折れるかと見えたせつな、ぶんっと、弓返ゆがえ りして、矢は離れていた。あの異様なうな りをふくむ鏑矢かぶらや なのだ。長鳴りをひいて飛んで行った。
あたった。
かなめ際にでも当たったものか、矢は、なお飛んで先の方へ消えたが、扇ははじ かれたように空へ揚がり、そして、翻々ほんぽん と、裏を見せ表を見せつつ、波間へ落ちた。
「・・・・・、・・・・・」
おそらく、ひそかな予想では、られの思いも当たっていなかったに相違ない。一瞬は声もない空間だった。ただ、ぽかんと、飛扇ひせん のひらめきに魂を抜かれたかたちであった。
が、われに返ると、
「あっ、射たわ」
「射たり!」
と、敵味方もなく暴風のような歓呼を揚げた。それは暮れかかる海づらに海彦うみびこ を呼んだ。
“ ── 沖には平家、ふなばた をたたいて感じたり。陸には源氏、えびらたた いてよどめきけり”
とは、古くから平曲を語り伝えた琵琶びわ 法師ほうし が好んでばちろう すところであった。

『新・平家物語(十三)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ