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2010/10/28 (木) ベートーヴェンの生涯 (八)

1801年に彼の情熱の対象はジウリエッタ・ギッチアルディーであったらしい。
彼はいわゆる 「月光曲」 と呼ばれる作品27番の有名なソナータ (1802年) をこの人に捧げることによってこの女性を不滅化した。
「僕の生活は今までよりも優しみのあるものになった」
とヴェーゲラーに宛てて書いた。
「僕はいっそう人々になじむようになった。・・・・一人のなつかしい少女の魅力が、僕をこんなふうに変わらせたのだ。その人は僕を愛しているし、僕もその人を愛している。二年この方はしめての幸福の幾瞬時を僕は持っている。」
ところで彼はこの幸福の幾瞬時に対してやがて辛い代償を支払うことになる。
最初からこの恋は彼に、自分の病気の惨めさと、そして愛する人との結婚を不可能にする不安定な生活状態とをますます痛感させた。
それにジウリエッタはコケットで幼稚で利己主義であった。彼女は残酷にベートーヴェンを苦しませた。そして1803年の十一月にガルレンベルグ伯爵と結婚してしまった。
こんな情熱は魂を蹂躙する。ベートーヴェンのばあいのように魂が病気のために弱っているとき、こんな種類の情熱は魂を破壊する危険がある。これは彼の生涯の中で、破滅しそうに見えた唯一の瞬間であった。
彼は絶望の危機を突破していた。一つの手紙がわれわれにそれを告げている。すなわち 『ハイリゲンシュタットの遺書』 がそれである。かれは彼の二人の弟カルルとヨーハンとに宛てた手紙であって 「私の死後に読み、私の遺志どおり取り計らってくれ」 とという表示が書かれている。
これは運命への抵抗とはげしい悲しみとの叫びである。憐感に胸を貫かれることなしには、人はこの叫びを聞き得ない。当時彼は自ら命を絶とうとする危険の淵に臨んでいた。ただ彼の不屈な道徳観だけが彼を引き留めたのである。快癒への最後の望みも消えていた。
「私を支えて来た最も高い勇気も今では消え失せた。おお、神の御心よ。たった一日を、信の歓喜のあった一日を私に見せて下さい。信の悦びのあの深い響きが私を遠ざかってからすでに久しい。おお、わが神よ。いつ私は再び悦びに出遭えるのでしょう?・・・・その日は永久に来ないのですか?・・・・否、それはあまりにも残酷です!」
これは絶体絶命の呻きである。しかもベートーヴェンはその後なお二十五年も生きながらえるであろう。彼の生来の頑強さは、試練の重みの下に圧しつぶされることを承服はしなかった。
「僕の体力も知力も、今ほど強まっていることはかってない。・・・・僕の若さは今始まりかけたばかりなのだ。一日一日が僕を目標へ近づける、 ── 自分では定義できずに予感しているその目標へ。おお、僕がこの病気から治ることさえできたら、僕は全世界を抱きしめるだろうに!・・・・少しも仕事の手は休めない。眠る間の急速以外には休息というものを知らずに暮らしている。以前よりは多くの時間を睡眠に与えねばならないことさえ今の僕には不幸の種になる。今の不幸の重荷を半分だけでも取り除くことができたらどんなにいいか・・・・このままではとういていやりきれない。・・・・運名の喉元をしめつけてやる。断じて全部的に参ってはやらない。おお、人生を千倍にも生きられたらどんなにいいか!」
この愛情、この苦悩、この意志力、そして失意と誇りとのこの交替、内心のこれらの悲劇が、1802年に書かれた大きい作品の中に現れている。すなわち、 『葬送曲のついたソナータ』 (第二十六番) 、第二十七番の二つのソナータ (幻想風のソナータと月光曲) 、また、絶望に向かっての広大な独白のような感じのする劇的な宣叙調レチタティーフ の付いている作品三十一の第二番のソナータ、アレクサンダー皇帝にささげられたハ短調のヴァイオリン・ソナータ (第三十) 、第四十七のクロイツァ・ソナータ、ゲルラートの詩に付けた六つの雄々しくて感銘的な宗教歌曲 (第四十八) がそれである。
しかし1803年に出来た 『第二交響曲』 はかえって彼の悦ばしげな恋の感情を反映する。そして意志の力が決然として勝を制しつつあることが感じられる。抗し難い一つの力が恋しい想いを吹き払う。生命の奔騰がこの作品の終曲フィナーレ を出場させる。ベートーヴェンは幸福でありたいと望んでいる。彼は自分の疾患を不治だと信じたくない。彼は快癒をのぞんでいる。愛を望んでいる。彼は希望に溢れている。

『ベートーヴェンの生涯』 著:ロマン・ロラン 訳:片山 敏彦  発行所:岩波書店 ヨ リ