〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/10/28 (木) 『新・平家物語 (十一)』 P−184 〜 P−186

忠度は、走りつづける馬上から、ちらと、横顔を振り向けたのみで、
「いや、味方ぞ。われも東国武者の一人」
と、いつわ った。
だが、六弥太は、耳にもかけなかった。よそお いの見事さ、そして、歯には鉄漿かね を染めている。源氏武者に、そうした風俗はない。
「先を取れ、押っとり囲め」
ついに、忠度は、敵の中に陥ちた。
だが、彼の奮戦は、見事だった。さいごに、六弥太との一騎打ちとなった。公卿化粧の柔弱と思いのほか、案外な剛力である。
さしもの岡部六弥太も、かなわなかった。六弥太は下に組みしかれてしまい、一刀、二刀、三刀と、白い切っ先を、 のさきに見た。そのたび、兜の吹返ふきかえ しや、鎧の金具が、カチッと火を発し、四たび目の短刀は、かわしようもなく、彼ののど ぶえに突き立つかと思われた。
せつな、六弥太の郎党が、後ろから、太刀を振り上げて迫り、忠度の右腕を斬り落とした。
忠度は、とび退いた。
そして、砂上にすわると、振り向いて、
「敵の男、首を打て」
と、催促し、西へ向かって、念仏を唱えるような姿勢をとった。
「おん名は」
六弥太が、そばへ迫って くと、
即仏そくぶつ無色むしき ・・・・名などはもうない」
その一言の声の、なんともきれいで、静かな容子であった事よと、とう の岡部六弥太が、いくさ がたり というと、生涯、よく人に言ったものであった。
死骸しがいえびら から、うた 反古ほご らしいものも出た。陣中の詠草らしく、その中に、

『ゆき暮れて 木の下かげを 宿とせば  花やこよひの あるじならまし』
という一首が見えたので、 「それよ、薩摩守さつまのかみ 忠度ただのり という故入道殿の腹ちがいの御弟にて、幼少を熊野に生い育ち給ひたる平家随一のゆかしき大将なれ」 と、すぐ全陣に知れわたり、岡部の功名も、人々にうらやましがられた。
あれほど、 「そばを離れずに」 と、忠度から言われていたものの、敦盛には、敵のおめ きを突破しきれるほどな自信もない、力もない。
彼はいつか、その人を見失ってしまい、共にいた味方のたれかれとも散り散りになって、ただ一騎、敵なき方へ、走って行った。
ところが、 ── その行く手には、なおたくさんの源氏が遠くに見える。明石口の土肥実平や、西木戸を陥した平山武者所などの軍勢であったのは言うまでもない。
「西も敵、東も敵、ああいずこへ落ちようぞ」
行き暮れて、海の面を見ていると、輪田ノ岬や駒ケ林の浜から、敗軍の将士を満載した船が、幾雙となく、すぐ眼の前の潮路しおじ を、阿波あわ や四国の方へ、逃げ漂って行くのが見えた。
「おう、海は遠浅。・・・・馬を泳がせて、あの船まで」
敦盛は、駒を沖へ向け、ざ、ざ、ざざ、とそのまま海へ入って行った。
馬のけん がかくれ、ひざが沈み、やがて、あぶみに波がかかり出すと、背に流している二引の母衣ほろ は、潮風をいっぱいにはら んで、その姿は、ちょうど一羽の鴛鴦おしどり が波上にもてあそばれているようだった。
『新・平家物語(十一)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ