〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/10/25 (月) 『新・平家物語 (十一)』 P−172 〜 P−174

明泉寺の下 ── 夢野の辻へ出た。
知盛のはら では、ここまで来れば、味方の教経のりつね通盛みちもり の手勢と一つになれようと考えていたものらしい。
ところが、こに鵯越え口も、はや、破られた後だった。
道には、味方の小旗や、打物や、兵や死馬のかばね が、通れもせぬほど、乱離らんり だった。
「さては、ここも、一ノ谷も」
いまは、知盛もすべてを知った。この高所に立てば、いやでも、味方の総敗軍は、ひと眼であった。
追っかけて来た源氏は、武蔵児玉党の十数騎で、
「やっ、あれに」
と、知盛を指さしあった。そして、人数を分け、道の先へも、馳けまわろうとした。
「ここの防ぎは、わたくしが ──」
突然、こう叫んで、知盛のそばを離れたのは、彼の一子知章ともあきら だった。
われから、近づく敵の前へ立ちふさがって、
下臈げろう っ、推参すいさん
と、一騎の敵を斬り伏せ、もいちど、父の姿を振り向いて叫んだ。
「ここは、知章が殿軍しんがり いたしますれば、父君には、はやく、主上の御船へ」
── と見て、家臣の頼賢よりかた も、
「おうっ、お健気けなげ よ」
と知章と力をあわせ、敵のかたまりへ、ともに一命をぶつけて行った。
もとより、その阻止も、怒涛どとう の前に手を拡げたようなものでしかない。
しかし、小さくとも、その力闘は、たしかに、猛馬群の足もとを一瞬、行きつかえさせた。当然、監物けんもつ 頼賢よりかた がまず乱刃らんじん の下に斬り落とされた。そしてまた紅顔の公達きんだちたいらの 知章ともあきら も、無数な刃のなかに、花の姿を、さんざんに、斬りさいなまれた。
知章は、まだ十七。
親の知盛は、子のために、からくも、虎口ここう を逃れ得たのだった。
彼は、すでに味方の総敗軍と分かったので、真一文字に、いそ の方へ向かって馳け、今し、輪田ノ岬を離れようと騒いでいた船の一艘を大声で呼びとめた。
ところが、船は、敗走の将士で埋まり、傾ぐばかり船脚も沈めている。
知盛の体だけは、どうやら、乗ることが出来たが、馬は乗せきれない。 「馬は捨て給え。人の命には代えられぬ」 と、船上の味方は、口々にわめき騒ぐ。
中でも、阿波あわ田口たぐち 重能しげよし は、
「中納言の君の御馬は、人も知る名馬、あのような良馬を、敵の手に させてはなるまい。ひと思いに、射殺せ」
と、言った。
馬は長年飼われた主をよく知っている。
船へは上げられず、陸へも帰らず、潮の中に狂い立ったまま、悲しげに、二度三度、鼻を振り上げて、いあなないた。
その長いのど もとを眼がけて、敗軍の狂兵たちが、矢をつがえたのを見、知盛は、
「待て、射たらゆるさんぞ。多年の愛馬。しかも、今日のわが命を、助けてくれたのもこの馬だ。あわれ、、よい主人に拾われてくれよ」
と、泣いて馬を陸へ追いやった。
後にこの馬は、源氏の河越重房に拾われて、院のおうまや へ献上されたという。
それにしても、馬にさえこれほどの愛情を持つ知盛が、わが子の知章の討死にを後ろに見捨ててなぜ逃げたのだろうか。
もちろん、知章は、父の身代わりになる気で敵へ当たったに違いない。ともに討死にしては、彼の願いは届かないことになる。 ── それもあるし、またおそらく、知盛の胸には、 「ここで、自分が果てては」 という後日の悲願もあったに相違ない。平家の未来を見とどけないでは、死ぬにも死に切れないとする無念に駆られていたろうことも、察するに難くない」

『新・平家物語(十一)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ