〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2010/04/06 (火)  嗚呼 八甲田山 (三) 驚愕!もう一つの行軍隊、田茂木野に現われる

青森隊が当初予定の之一泊二日で青森の原隊に帰還するのは一月二十四日、さらに行軍が当初より首尾よく進捗して三本木まで進出するとしても、一月二十五日である。
しかし予定を過ぎてもまお帰らぬ行軍隊を案じた青森五連隊連隊長・津川謙光かねみつ 中佐は、二十五日午後十時、急ぎ三神みかみ 定之助少尉を隊長とし、軍医、看護手各一名を含む六十人の救援隊を編制、翌二十六日早朝を期して田茂木野へ急行させた。
二十六日、田茂木野から田代新湯に向かった救援隊は、猛烈な風雪をおかしておお とうげ の先まで進出したが、悪化の一途をたどる天候に行く手をさえぎられ、田茂木野へ引き返さざるを得なかった。二重遭難を回避するための、涙を呑んでの撤退であった。
翌二十七日午前六時、再度、八甲田山の豪雪へ分け入った救援隊が、午前十時、大滝平付近で氷雪の彫像さながらの後藤ごちょうをの姿を見出し救出したのは前述のとおりである。
続けて、100メートルほどの山側の地点で、雪中行軍隊の主任中隊長・神成かんなり 文吉ぶんきち 大尉、さらに300メートルほど離れた場所で及川篤三郎伍長の二人が凍死体で発見された。
仮死状態から蘇生そせい した後藤伍長がかろうじて発した片言へんげん せつ から明らかになった事実は、第一報を受け取った青森五連隊の屯営を凍りつかせた。 "ほぼ全滅" という事実を、連隊長以下幹部たちが完全に理解するには一瞬の間を要した。その破綻はたん の規模を測りかねて、即座には受け容れられなかったのである。一個中隊がほぼ全滅するというのは、苛烈かれつ を究めた肉弾戦でもない限り考えつかない事態ではないか。
驚天動地、事態の重大さと深刻さに衝撃を受けた連隊は火がついたような大混乱に陥った。ただちに百五十人の増援隊を急派するとともに、その夜、田茂木野に捜索本部を立ち上げた。
翌二十八日早朝から捜索が再開されたが、人員・救援資材の調達が困難な上風雪も激しく、捜索隊は創作の実をあげられないまま田茂木野と幸畑に村落露営をせざるを得なかった。捜索隊の置かれた田茂木野は、戸数二十戸、人口百二十人の小さな村落である。捜索隊の案内人や作業員として近隣の村民も含めた八十人が駆り出され、捜索隊の将兵百五十人が村落野営をするなど、日ごろ雪に埋もれた静寂に包まれている村は、一転、 の遭難事件の渦中に投げ込まれ、異様な雰囲気に包まれていた。
日付も改まり二十九日の深夜二時過ぎのことだった。田茂木野の民家・川村義男宅の戸を荒々しく叩く者があった。
深夜にたたき起こされた村人は、我が目を疑う姿をそこに見た、凍傷で赤く染まった顔の中から強い光を放つ目だけが浮かび立って、こちらに真っ直ぐに向けられている。雪に覆われた外套がいとう は白い板のように凍りつき、至るところに氷塊を り付かせ、すす袖先そでさき からは氷柱つらら が長々と垂れている。その姿は、まさに雪まみれの幽霊そのものだた。
“幽霊” は白い息をもうもうと吐きながら、 ぜん とした声で、所属部隊名を名乗り、自分たちの休憩と食事を要求した。所属部隊名は 「青森五連隊」 ではなく、たしかに 「弘前・・・・」 と聞き取れた。幽霊の正体は、ここ三日間、青森五連隊が必死に捜索している遭難兵でもなく、ましてや幽霊ではなかった。
青森隊とは別のもう一つの雪中行軍隊がいたのだ。その雪中行軍隊は、今まさに二百十人もの将兵が生死の境をさまよっている八甲田山を越えて、ここ田茂木野にやって来たのだった。
もう一つの雪中行軍隊、それは福島泰蔵たいぞう 大尉率いる弘前歩兵第三十一連隊の三十七人であった。
弘前三十一連隊の雪中行軍隊は、青森隊が行軍に出発した三日前の一月二十日、弘前の屯営を発ち、十和田湖の南岸を半周し、三本木を経て、さらに八甲田山を越えて青森に達し、浪岡を経由意して弘前に帰るという、全行程224kmに及ぶ雪中行軍を実施中であった。その行軍ルートは、ちょうど青森県の中央部にぐるっと楕円を描くようである。楕円の南の端は岩手県に、北の端は陸奥湾に接する。
つまり、弘前三十一連隊は、青森を発ち八甲田山を越えて田代新湯に向かおうとした青森隊とは逆コースをとって八甲田山を越えてきたのだった。田茂木野はその予定の行軍ルートの通過点の一つであった。
弘前三十一連隊の行軍は十泊十一日の予定であったが、八甲田山越えの際に雪中露営をよぎなくされたため、予定より一日半遅延していた。一月二十七日の予定だった田茂木野到着が二十九日午前二時になったのはそのためである。
遭難騒ぎの渦中にある青森隊とは別の行軍隊の到着に驚いたのは、突然の深夜の訪問を受けた村民だけではなかった。
田茂木野に駐留していた青森五連隊の捜索本部の驚きもまた大きかった。二十六日の最初の救援隊派遣から三日の間、捜索の行く手をはばみ続けた悪天候の八甲田山中を、弘前三十一連隊は昼夜歩き続け、一人の落伍者も出さずに踏破してきたからである。
弘前三十一連隊の姿を目の当たりにした青森五連隊の捜索本部は、まさに信じられないものを見る思いで息を呑んだ。その姿は、しばしの間、捜索本部の将兵にとっては、闇と吹雪の隙間から漂い出た幽霊にしか見えなかった。
この夜、福島大尉は、ここ田茂木野においてははじめて青森隊遭難の事実を知らされた。
たった今、自分たちが幽鬼さながら生死の境をさまよい、雪中を漕ぎ、泳ぎ渡ってきたその同じ山で、青森五連隊の行軍隊が遭難し、いまだに消息不明とは・・・・・。隊員たちは自分たちが踏み越えてきた白い地獄を思い出し、改めてその恐ろしさに身震いするのだった。
この段階では、伍長一名が仮死状態で発見され、神成大尉ら二名が凍死状態で発見されたという事実以上のことはまだわかっていまかった。

『指揮官の決断』 著: 山下 康博 発行所: 樂書館 ヨリ