〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-T』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十四) ──
だんうら の 巻

2014/07/12 (土) かん   どう (三)

何も知らない人 ── というのは、まさに、ここ数日の間の、義経のことであったろう。
静は、彼を迎えた夜、
「もう、このような夜が、二人の上にあるかどうか、ひところは、考えられもしませんでした。こう御無事なお顔を見れば、ほんのわずかな月日ではあったのですが」
濡れた顔を抱かれて、かの女は何度も、夢の中で言っているように言った。
半年にも足らない留守、武者にはありがちといってよい。それが、何年もの別れに義経には思われていた。静の肌の香に溶け入って、何ものもない、ひとりの男となったとき、彼は生命いのち のふるさとへ帰った気がした。
が、そのような二た夜三夜のために、彼が多事も顧みず、何も知らない人 ── であったというのでは決してない。
五月へ入ったこの三、四日の間に、すでに頼朝の令は西国へ飛び、また、梶原への書中にも、彼は兄頼朝から、すでに勘気を受けていたのである。
どうしてそのようなむく われ方が、彼に想像も出来たであろうか。
彼は都まで来て、それだけでも、兄の身近へ近づいたと感じているのだ。鎌倉からなんぞ、よろこびの使者が、今日はあろうか、明日はあらんかと、ひそ かに、待たれていたのである。
しかし、壇ノ浦直後に、彼からは早々の大捷たいしょう の一報を鎌倉へしておいたが、鎌倉からは、まだ一片のねぎらいも、義経の許へは来ていない。
甘えるのではないが、彼は心の底で、兄のこたえを、のどかわ くように、欲しがっていた。感状、恩賞などは、後々にせよ、ひと言、 「── 九郎、よく致したり」 という言葉が欲しい。また、それは必ずあるものと、今日になっても、彼の待つ心は疑いもしていなかった。
ところが、七日の昼だった。
どう、どこからもれたのか、鎌倉どのが、義経にこころよ からぬとやら、また、義経の驕慢きょうまん専横せんおう の事々が、いちいち耳に入って、御勘当の処置もあるやとか、輪郭ははっきりしないが、院中にそういう風聞が立ったということを、六条堀川へ、さっそく告げて来た者があった。
院という所は、至極、おっとりした公卿たちのいる一郭でありながら、諸国の風説が入ることが実に早い。また、そういう触覚に鋭敏な特殊の耳目じもく をもっている。ことに鎌倉の府とは、一日のうちにも、何度という下文や上書の往復があるのであった。
「はて、覚えもなけれど」
義経はしかし、それを聞いて、愕然がくぜん とした。
上洛の途中でも、 に落ちぬことは耳にしたが、よもやとのみ、笑っていた。が、今はもう、聞き流してはいられない。
彼は、懸命な真情をこめて、長い手紙を、兄頼朝へ書いた。
「六郎、すぐ馬をとばして、鎌倉表へ参ってくれい。ただちに立てよ」
亀井六郎を、使いとして、書を託したが、六郎がこま をひき出すのを見、
「しばし待て、もう一書あるぞ」
と、義経は、手紙だけの披瀝ひれき では、なお足りないと思ったのか、また、急いで筆を取った。そして、自分の心は神かけて変わりのないことを、起請文きしょうもん にしたため、
「あわせて、この一通も、鎌倉どのへ捧げよ」
と、六郎に持たせてやった。
翌日、行き違いに、院ノ庁を通して 「捕われの宗盛父子の身柄を、鎌倉表へ差し立てられたい」 という頼朝の意向が、鎌倉から飛脚されていた。
虜囚は、宗盛父子だけではない。院、朝廷の御用は繁く、今の義経は都を離れがたい立場にあった。
だが彼は、こんどの沙汰が ── まだ風聞に過ぎないとはいえ、勘当とは、ただ事でない。身の一大事と思わずにいられなかった。
すぐ、亀井六郎を立たせたものの、一封の書面や起請文が、よく兄の誤解や感情をなだめることが出来るかどうか。夜々にも案じられ、また危ぶまれる。われながら、気が小さいとなげ かれるほど、それは心配でならなかった。
「そうだ、直々、お目にかかろう。そして、義経みずから、いちいちお疑いを くに くはない。鎌倉どののおん前にて申し開かん」
と、決心した。
そこで、みずから護送の任につき、ちょうど六郎が鎌倉へ着いたであろうころ、彼もあわただしい旅装をととのえ、平家の総領宗盛父子の檻車おりぐるま に付き添って、六条堀川から東路あずまじ へ立って行った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ