「・・・・かつはまた」 と、それに付随して、義経は理由づけた。 神器をつつがなく平家の手から取り返すために、自分が独断で誓書を与えるぐらいなことも、よも、おとがめはないであろう。同時に、罪もない平家の女人
や老幼を能あと うかぎり助けてとらすことは、自分の慈悲と言うよりは、院、鎌倉どのの善根ぜんこん
として、後日の泰平を、いとど和なご
ませるものでもあるまいか。 「── 殿。持参いたしまいた」 いつか、床几しょうぎ
の前に、弁慶が来て、ひざまずいていた。 「お。神文しんもん
に用いる熊野の誓紙、あったか」 「殿より、なんじは、祐筆ゆうひつ
の役目をせよと申しつかりましてより、何かとそれらの調ととの
えは、つねに心しておりまする」 「墨すみ
磨す れ、弁慶」 義経は、すぐ筆をとった。 そして熊野の誓紙へ、こう書いた。
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