〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2013/02/07 (木) うし) わか) ) ぶね) まうで) の 事 (一)

それよりして、学問の心をば跡形あとかた なく忘れはてて、明暮あけくれ謀反むほん の事をのみぞたしな思召おぼしめ しける。
謀反をする程ならな、 せひき、早業はやわざ 知らではかな ふまじ。まづは早業はやわざ をし習はんとて、東光坊のもとは諸人寄合所よりあひどころ なり。如何いか にも叶ふまじ。鞍馬くらま の奥に僧正そうじやうだに といふ所あり。むかしよりして如何いか なる人があが め奉りけん、貴船の明神とて、霊験殊勝れいげんしゆしよう にわたらせ給ふ。さればむかしは知恵深き上人しやうにん もおこなひ給ひけり。鈴の声もおこただず、まさしき神主かんぬし もありければ、御神楽みかぐらつづみ の音も退転たいてん なく、きぬふり らすすず をさまし、霊験あらたにわたらせ給ひしかども、世末代まつだい になりぬれば、ほとけ方便ほうべん 、神の験徳けんとくおとろ へさせ給ひて、人住み荒し、ひと へに天狗てんぐ住家すみか と成りて、夕日せきじつ 西にかたぶ けば、物怪もののけ をめきさけぶ。さればおのづから参り寄る人をも取りなやますあひだ参籠さんろう する人なかりけり。
されども牛若殿うしわかどの かかる所のあるよしを聞きて、昼は学問がくもんちゆう をいたすてい にもてなし、夜になれば、日ごろは一所ひとところ にてともかくもなり参らせんと申しける衆徒しゆと にも知らせず、別当べつたう の御まぼ りに参らせたる敷妙しきたへ といふ腹巻はらまき に、黄金こがね づく りの太刀たち きて、ただ一人貴船の神社へ参り給ひ、祈念きねん 申し給ひけるは、 「南無なむ 大慈悲だいじひ明神みやうじん八幡はちまん 大菩薩だいぼさつ 」 とたなごころ を会はせて、 「源氏げんじまぼ らせ給へ。宿願しゆくぐわん まことに成就せば、たま御宝殿ごほうでん を造り、千ちやう神領しんりやう寄進きしん し奉らん」 と祈誓きせい して、念誦ねんじゆ はてければ、正面より未申ひつじさる へ向かひ出で給ふ。

牛若は、その事があって以来、学問をしようという気持をすっかり忘れてしまい、明けても暮れてもただ謀反むほん のことばかりを考えふけっておられた。
およそ謀反を起こすほどの覚悟なら、いくさの駆引きや早業はやわざ を知らなくてはうまくゆくまい。まず早業を稽古しようと思ったが、この東光坊にところは多くの人々が寄り集まる所なので、どうにも具合が悪いだとうと考えた。幸い鞍馬くらま 山の奥に、僧正が谷というところがある。昔からどんな人が崇敬しておまつ りしてきたのか、そこに貴船きぶね 神社いって霊験れいけん あらたかな神様が鎮座なさっている。
そこで、昔は学識深い高僧も参詣して修行をなさっていた。その頃は、勤行ごんぎよう の鈴の音も途絶えることなく、正真正銘の神主も奉仕していたので、御神楽みかぐらつづみ の音も中絶せず巫女みこ たちが振り鳴らす鈴の音色に人々の目をさまし、霊験あらたかでおわしましたが、世も末になったので、仏様のご威光も、神様の不思議な霊力もすっかり薄れてしまわれて、人々が住み荒し、社はただ天狗てんぐ の住家となり、夕日が西に傾くと、妖怪変化へんげ が出没しおめ き叫ぶありさまとなってしまった。そんな訳で、参詣する人々にも妖怪がとりつき悩ませるため、この社に参籠さんろう する者は誰もなかった。
しかし牛若殿は、そのような場所があるといううわさ を聞くと、日中は学問に身を入れているふうよそお ってごまかし、夜になると、ふだんは自分と生活を共
にし、いざという時には助力しようと誓ってくれた同僚の僧たちにも知らせず、別当 (東光坊) が護身用としてくださった敷妙しきたえ という腹巻を着用し、黄金こがね づくりの太刀たち を腰に下げて、ただ一人で貴船神社に参詣し、祈願をきめられた。牛若は、 「南無なむ 、広大無辺の慈悲深き貴船明神、それに源氏の守り神、八幡大菩薩ぼさつ よ」 と合掌がっしょう し、 「どうか源氏をお護りください。もし私の宿願が本当にかな えられましたならば、美しいご寝殿を造営し、千町のご領地を寄進申し上げましょう」 と祈誓して、祈りが終わると、社の正面から西南の方角に向かって退出なさった。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ