〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/08/04 (火) べん けい よし つねくん しんけい やく 申す事 (七)

かくてみやこ には、九朗義経、武蔵坊と言ふつわものかた らひて、平家を狙うといふきこ えありけり。おはしける所は、四条の上人のもとにおはすよし六波羅ろくはら へ人うつた へたりければ、六波羅より大勢押し寄せて上人を る。御曹司はおはしけれども、手にもたま らず せ給ひけり。
こうして都では、九朗義経が武蔵坊という勇士を配下として平家を狙っているという噂が立った。義経らが住まわれているのは、四条の上人の所だという旨を、六波羅へ人が訴えたので、六波羅から大勢の軍兵が押し寄せて来て、上人を逮捕した。御曹司もそこにおいでになったが、軍兵たちの手に負えず、どこかに行方をくらましてしまわれた。
御曹司、 「この事 れぬほど こそあれ、いざやおくくだ らん」 とて、都を出で給ふ。東山道とうせんどう にかかりて、木曾きそもと におはして、 「都の住居すまい かな はぬあいだ 、奥州へこそくだ り候へ。かくて御渡り候へば、万事たの もしくこそ思いひたてまつ れ。東国北国のつわものもよお し給へ。義経よしつね も奥州より差し合はせて、疾々とくとく 本意を げ候はんとこそ思ひ候へ。これは伊豆の国ちか く候へば、つね兵衛佐ひょうえのすけ 殿どのかた へも御おとず れ候へ」
とて、木曾がもと より送られて、上野の国の伊勢いせ 三郎がもと までおはして、それより義盛よしもりとも して平泉ひらいずみくだ られけり。
さても四条の少進坊六波羅にてとかく糾問きゅうもん せられけれども、つい に落ちざりければ、六じょう じょう 河原がわら にて られぬるこそ不便ふびん なれ。
かくて九朗御曹司は、奥州にてとし 給ふほど に、とし 二十四にぞなり給ふ。
御曹司は、 「この事が洩れないうちはともかく、もう洩れてしまった以上、さあ奥州へ下ろう」 といって、都をお立ち出になった。東山道へ道をとって、木曾義仲の所にお立ち寄りになり、 「都での居住が不可能になったので、奥州へ下ります。こうしてあなたがご健在ですから、なにかにつけて頼もしく存じます。東国・北国の軍平をご招集下さい。この義経も奥州から駆けつけて合流し、早く平家討滅の本望を成就したいと思います。この地は伊豆国に近うございますから、絶えず兵衛佐殿の方へもご連絡なさって下さい」
といって、木曾のところから護衛の者に送られて、上野 (コウズケ) 国の伊勢三郎の所へおいでになり、そこから義盛がお供をして平泉へお下りになった。
一方、四条の少進坊は、六波羅であれこれと責め問われたが、とうとう白状しなかったので、六条河原で斬られたのは、哀れなことであった。
こうして、九郎御曹司は、奥州で年月をお過ごしになっているうちに、二十四歳におなりになった。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ