かくて都
には、九朗義経、武蔵坊と言ふ兵
を語
らひて、平家を狙うといふ聞
えありけり。おはしける所は、四条の上人のもとにおはす由
、六波羅
へ人訴
へたりければ、六波羅より大勢押し寄せて上人を捕
る。御曹司はおはしけれども、手にも堪
らず失
せ給ひけり。 |
こうして都では、九朗義経が武蔵坊という勇士を配下として平家を狙っているという噂が立った。義経らが住まわれているのは、四条の上人の所だという旨を、六波羅へ人が訴えたので、六波羅から大勢の軍兵が押し寄せて来て、上人を逮捕した。御曹司もそこにおいでになったが、軍兵たちの手に負えず、どこかに行方をくらましてしまわれた。
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御曹司、 「この事洩
れぬ程
こそあれ、いざや奥
へ下
らん」 とて、都を出で給ふ。東山道
にかかりて、木曾
が許
におはして、 「都の住居
叶
はぬ間
、奥州へこそ下
り候へ。かくて御渡り候へば、万事頼
もしくこそ思いひ奉
れ。東国北国の兵
を催
し給へ。義経
も奥州より差し合はせて、疾々
本意を遂
げ候はんとこそ思ひ候へ。これは伊豆の国近
く候へば、常
に兵衛佐
殿
の方
へも御訪
れ候へ」
とて、木曾が許
より送られて、上野の国の伊勢
三郎が許
までおはして、それより義盛
御供
して平泉
へ下
られけり。
さても四条の少進坊六波羅にてとかく糾問
せられけれども、遂
に落ちざりければ、六条
条
河原
にて斬
られぬるこそ不便
なれ。
かくて九朗御曹司は、奥州にて年
を経
給ふ程
に、歳
二十四にぞなり給ふ。 |
御曹司は、 「この事が洩れないうちはともかく、もう洩れてしまった以上、さあ奥州へ下ろう」
といって、都をお立ち出になった。東山道へ道をとって、木曾義仲の所にお立ち寄りになり、 「都での居住が不可能になったので、奥州へ下ります。こうしてあなたがご健在ですから、なにかにつけて頼もしく存じます。東国・北国の軍平をご招集下さい。この義経も奥州から駆けつけて合流し、早く平家討滅の本望を成就したいと思います。この地は伊豆国に近うございますから、絶えず兵衛佐殿の方へもご連絡なさって下さい」
といって、木曾のところから護衛の者に送られて、上野 (コウズケ)
国の伊勢三郎の所へおいでになり、そこから義盛がお供をして平泉へお下りになった。
一方、四条の少進坊は、六波羅であれこれと責め問われたが、とうとう白状しなかったので、六条河原で斬られたのは、哀れなことであった。
こうして、九郎御曹司は、奥州で年月をお過ごしになっているうちに、二十四歳におなりになった。 |
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原
正昭 発行所:小学館 ヨ リ |