その時御曹司仰せられけるは、
「不思議
の奴
かな、己等
が様
なる乞食
は、着の下や萱
の下にて申すとも、仏の方便
にてましませば、聞召
し入れられずらん。方々
おはします所にて、狼藉
なるぞ。退
き候へ」
と仰せられければ、弁慶、
「情
なくも宣
ふものかな、昨日の夜より見参
にい入りて候ふ甲斐
もなく。其方
へ参り候はん」
と申しも果
てず。二畳
のたたみをゆらりと越え、 「推参尾籠
なり」 とて憎
みけり。 |
その時、御曹司はこうおっしゃった。
「おかしな奴だな。お前らのような物乞いは、木の下や萱の下で祈願をしていても、御仏の衆生救済の手だてだから、お聞き届けになるであろう。大勢の信者の方々がおいでになる所で、乱暴だぞ、お退きなさい」
と仰せになったところ、弁慶は、
「情けない事をおっしゃるものよ昨日の夜からお知合いになった甲斐もない。そちらへ参りましょう」
と言いも終らず、二畳の畳をゆらりと飛び越えたので、御曹司は、 「押しかけて参るとは無礼だぞ」 といって、弁慶の振る舞いを憎まれた。 |
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かかりける処
に、御曹司の持ち給ひたる御経
を取り、さっと拡
げて、
「あはれ御経や、これは御辺
の経か、人の経か」 とぞ申しける。されども返事もし給はず。
「御辺も読み給へ、我
も読み候はん」 と言ひて、弁慶西塔
に聞こえたる持経者
なり。御曹司は、鞍馬
の稚児
にて読み習ひ給ひたりければ、弁慶が甲
の声、御曹司の乙
の声、入り違
へて、二の巻を半巻ばかりぞ読まれたりける。 |
そうしているうちに、弁慶は御曹司のお持ちになっているお経を奪い取り、さっと広げて、
「ああ立派なお経よ。これはそなたの経巻か、それとも他人の経巻か」 といった。けれども、御曹司は返事もなさらない。
「そなたもお読みなされ。俺も読み申そう」 といって、弁慶は西塔で評判の高い経読みであり、また御曹司は鞍馬寺の稚児で経を読み習っておられたので、弁慶の甲の声と御曹司の乙の声とが交錯し、二人で第二巻の半分ばかりを読誦
(ドクジュ) された。 |
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原
正昭 発行所:小学館 ヨ リ |