明くれば六月十八日なり。清水
の観音
には、上下参籠
する所なれば、弁慶何ともあれ、昨
夕
の男
は今宵
清水にぞあらんずらん。参りて見ばやと思ひてぞ参りける。
白地
に清水の総門
に佇
みて、待てども待てども見え給はず。今宵
もかくて帰らんとする所に、何
時
もの癖
なれば、御曹司
夜更
けて、清水の坂
の辺にまた例
の笛こそ聞こえけれ。 |
明けると六月十八日である。清水の観音は、縁日で貴賎上下の人々が参籠するところなので、弁慶は、何としても作夕の男は今夜は清水にいるに違いない。行ってみようと思って、やって来た。
ちょっとの間、清水寺の総門のところに佇んで待ったが、いくら待っても御曹司はお見えにならない。今夜もこうして空しく帰ろうとしたちょうどそのところに、いつもの習慣なので、御曹司は夜が更けてこの場に来かかり、清水坂の近くにまた例の笛の音が聞こえて来た。
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弁慶、 「あら面白
の笛の音
や、さればこそ」 と思ひて、 「この観音と申すは、坂上田村丸建立
し奉
りし御仏
なり。 『我
三十三遍
に身を変じて衆生の願ひを満てずは、祇園精舎の雲に交
はり、永
く正覚
を取らじ』 と誓
ひ、 『川原
を越えて、我が地に入らん者をば、福コ
を授
けん』 と誓ひ給ふ御仏なり。されども弁慶は福コをも欲
しからず、ただこの男
の持ちたる太刀を、弁慶に取らせ賜
べ」 と祈誓
して、門の前にぞ待ち懸
けたる。 |
弁慶は、 「ああ面白の笛の音よ。案の定だ」 と思って、
「この観音と言うのは、坂上田村麻呂が建立し申上げた寺のご本尊だ。 『自分は三十三遍身を変えて、しかも多くの人々の願いを満たすことが出来なければ、祇園精舎の修行僧たちの中に交じって、永遠に真の悟りを得た身とはなるまい』
と誓い、また 『煩悩を捨てて悟りの悲願の境地に達した者には、福徳を授けよう』 とお誓いあそばされた御仏である。けれども、弁慶はそんな福徳など欲しくはない。どうかただこの男の持っている太刀を、この弁慶にお取らせ下さい」
と祈願をこらして清水寺の門前で待ち構えていた。 |
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