〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/31 (金) べん けい よし つねくん しんけい やく 申す事 (一)

明くれば六月十八日なり。清水きよみず観音かんのん には、上下参籠さんろう する所なれば、弁慶何ともあれ、 おとこ今宵こよい 清水にぞあらんずらん。参りて見ばやと思ひてぞ参りける。
白地あからさま に清水の総門そうもんたたず みて、待てども待てども見え給はず。今宵こよい もかくて帰らんとする所に、 ものくせ なれば、御曹司おんぞうし けて、清水のさか の辺にまたれい の笛こそ聞こえけれ。
明けると六月十八日である。清水の観音は、縁日で貴賎上下の人々が参籠するところなので、弁慶は、何としても作夕の男は今夜は清水にいるに違いない。行ってみようと思って、やって来た。
ちょっとの間、清水寺の総門のところに佇んで待ったが、いくら待っても御曹司はお見えにならない。今夜もこうして空しく帰ろうとしたちょうどそのところに、いつもの習慣なので、御曹司は夜が更けてこの場に来かかり、清水坂の近くにまた例の笛の音が聞こえて来た。
弁慶、 「あら面白おもしろ の笛の や、さればこそ」 と思ひて、 「この観音と申すは、坂上田村丸さかのうえのたむらまろ建立こんりゅうたてまつ りし御仏みほとけ なり。 『われ 三十三べん に身を変じて衆生の願ひを満てずは、祇園精舎ぎおんしょうじゃの雲にまじは はり、なが正覚しょうかく を取らじ』 とちか ひ、 『川原かはら を越えて、我が地に入らん者をば、福コふくとくさず けん』 と誓ひ給ふ御仏なり。されども弁慶は福コをも しからず、ただこのおとこ の持ちたる太刀を、弁慶に取らせ べ」 と祈誓きせい して、門の前にぞ待ち けたる。
弁慶は、 「ああ面白の笛の音よ。案の定だ」 と思って、 「この観音と言うのは、坂上田村麻呂が建立し申上げた寺のご本尊だ。 『自分は三十三遍身を変えて、しかも多くの人々の願いを満たすことが出来なければ、祇園精舎の修行僧たちの中に交じって、永遠に真の悟りを得た身とはなるまい』 と誓い、また 『煩悩を捨てて悟りの悲願の境地に達した者には、福徳を授けよう』 とお誓いあそばされた御仏である。けれども、弁慶はそんな福徳など欲しくはない。どうかただこの男の持っている太刀を、この弁慶にお取らせ下さい」 と祈願をこらして清水寺の門前で待ち構えていた。