〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/25 (土) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十八)

鎌倉殿、 「白拍子しらびょうし興醒きょうざ めたるものにてありけるや。舞の舞ひよううたい の歌ひよう しからず。頼朝よりとも 田舎人いなかびと なれば、聞き知らじとて歌ひたるか。 『しず のをだまき繰り返し』 とは、頼朝よりとも が世尽きて、九朗が世になれとや。あはれおほけなく思ひたるものかな。 『吉野山嶺の白雪しらゆき 踏み分けて、入りにし人の』 とは、たとへば頼朝よりとも 九朗を攻め落すといえど も、いま だありとござんなれ。あにくにく し」 と仰せられける。
鎌倉殿は、 「白拍子とは興ざめたものである事よ。舞の舞い方、歌の歌い方が気にくわぬ。頼朝が田舎者だから、わかるまいと思って歌ったのか。 『賤のおだまき繰り返し』 とは、頼朝の世が終わって九朗の世になれというのか。何と恐れげもなく考えたものよ。 『吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の』 とは、たとえば頼朝が九朗を攻め落としたといっても、まだ健在だという事だな。うーむ憎いことよ、憎いことよ」 とおっしゃった。
二位殿にいどの これを聞召きこしめ して、 「同じみち の者ながらも、なさけ ありてこそ舞ひ候へ。しずか ならざらん者はいかでか御前にて舞ひ候ふべき。たとひ如何いか なる不思議ふしぎ をも申し候へ、女ははかなき者なれば、思召おぼしめ し許し候へ」 と申させ給ひければ、御簾みす方々かたかた を少し上げられたり。
二位殿はこれをお聞きになり、 「同じ遊芸者とはいえ、風雅な心があればこそ舞ったのでございます。静でない余人なら、どうして殿の御前で舞ったりしましょうか。たといどんな非常識な事を申しましたとしても、女はか弱い者でございますから、どうかそれをお考え下さってお許しなさいませ」 とおっしゃったので、頼朝も御簾の端のほうを少しお上げになった。
しずか しき御気色きしょく と思ひて、また立帰たちかえ り、
吉野山よしのやま みね白雪しらゆき 踏み分けて 入りにし人の あと えにけり
と歌ひたりければ、御簾みす を高らかに上げさせ給ひて、 「軽々かろがろ しく めさせ給ふものかな」 と言ふがさきもあり。
二位殿にいどの より御引出物ひきでもの 広蓋ひろぶたきぬ 給ひけり。鎌倉殿より、かい りたる長持ながもちえだ 給はる。宇都宮うつのみや 三枝、小山こやまの 左衛門さえもん 三枝、楽党がくとう 三人して九枝、そのほかえだえだ舞台ぶたいまわ りにあふこ を並べてかき ゑたる。
長持ながもち ちの器量きりょう ならぬ者は、小袖もて来て差置さしお き、直垂ひたたれ もては投げ置きなどしけるほど に、小袖の山、直垂の山をぞついたりける。佐原さはらの 十郎承りてしる したりければ、長持六十四えだ とぞしる し申しける。
静は、ご機嫌をそこねたと思って、また舞台に引き返し、
吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の 跡絶えにけり
と歌い直したので、頼朝は御簾を高々とお上げになり、 「軽々しくお褒めになることよ」 との囁きもあった。
二位殿から、引出物として広蓋に絹をお下げ渡しになった。鎌倉殿からは、貝をちりばめた長持を三つ下さった。宇都宮も三つ、小山左衛門も三つ、楽人仲間三人で九つ、その他一つ二つと、舞台の周囲に荷い棒を並べて担ぎ据えた。長持ちを贈るほどの力量のない者は、小袖を持って来てそこに置いたり、直垂を持って来て投げ置いたりしているうちに、小袖の山、直垂の山が築き上げられた。佐原十郎が命を受けて記録したところ、長持六十四個と記した。