鎌倉殿、 「白拍子
は興醒
めたるものにてありけるや。舞の舞ひ様
、謡
の歌ひ様
怪
しからず。頼朝
田舎人
なれば、聞き知らじとて歌ひたるか。 『賤
のをだまき繰り返し』 とは、頼朝
が世尽きて、九朗が世になれとや。あはれおほけなく思ひたるものかな。 『吉野山嶺の白雪
踏み分けて、入りにし人の』 とは、たとへば頼朝
九朗を攻め落すと雖
も、未
だありとござんなれ。あ憎
し憎
し」 と仰せられける。 |
鎌倉殿は、 「白拍子とは興ざめたものである事よ。舞の舞い方、歌の歌い方が気にくわぬ。頼朝が田舎者だから、わかるまいと思って歌ったのか。
『賤のおだまき繰り返し』 とは、頼朝の世が終わって九朗の世になれというのか。何と恐れげもなく考えたものよ。
『吉野山嶺の白雪踏み分けて入りにし人の』 とは、たとえば頼朝が九朗を攻め落としたといっても、まだ健在だという事だな。うーむ憎いことよ、憎いことよ」
とおっしゃった。 |
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二位殿
これを聞召
して、 「同じ道
の者ながらも、情
ありてこそ舞ひ候へ。静
ならざらん者はいかでか御前にて舞ひ候ふべき。たとひ如何
なる不思議
をも申し候へ、女ははかなき者なれば、思召
し許し候へ」 と申させ給ひければ、御簾
の方々
を少し上げられたり。 |
二位殿はこれをお聞きになり、 「同じ遊芸者とはいえ、風雅な心があればこそ舞ったのでございます。静でない余人なら、どうして殿の御前で舞ったりしましょうか。たといどんな非常識な事を申しましたとしても、女はか弱い者でございますから、どうかそれをお考え下さってお許しなさいませ」
とおっしゃったので、頼朝も御簾の端のほうを少しお上げになった。 |
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静
悪
しき御気色
と思ひて、また立帰
り、 |
吉野山
嶺
の白雪
踏み分けて 入りにし人の 跡
絶
えにけり |
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と歌ひたりければ、御簾
を高らかに上げさせ給ひて、 「軽々
しく褒
めさせ給ふものかな」 と言ふがさきもあり。
二位殿
より御引出物
広蓋
に衣
給ひけり。鎌倉殿より、貝
摺
りたる長持
三枝
給はる。宇都宮
三枝、小山
左衛門
三枝、楽党
三人して九枝、その他
一枝
二枝
、舞台
の廻
りに朸
を並べて掻
据
ゑたる。
長持
ちの器量
ならぬ者は、小袖もて来て差置
き、直垂
もては投げ置きなどしける程
に、小袖の山、直垂の山をぞついたりける。佐原
十郎承りて記
したりければ、長持六十四枝
とぞ記
し申しける。 |
静は、ご機嫌をそこねたと思って、また舞台に引き返し、 |
吉野山 嶺の白雪 踏み分けて 入りにし人の
跡絶えにけり |
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と歌い直したので、頼朝は御簾を高々とお上げになり、
「軽々しくお褒めになることよ」 との囁きもあった。
二位殿から、引出物として広蓋に絹をお下げ渡しになった。鎌倉殿からは、貝をちりばめた長持を三つ下さった。宇都宮も三つ、小山左衛門も三つ、楽人仲間三人で九つ、その他一つ二つと、舞台の周囲に荷い棒を並べて担ぎ据えた。長持ちを贈るほどの力量のない者は、小袖を持って来てそこに置いたり、直垂を持って来て投げ置いたりしているうちに、小袖の山、直垂の山が築き上げられた。佐原十郎が命を受けて記録したところ、長持六十四個と記した。
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