〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/24 (金) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十六)

しずか これを見て、よくぞ辞退じたい したりける。同じくは舞ふとも、かかる楽党にてこそ舞ふべけれ。心かろ くも舞ひたりせば、如何いか軽々かろがろ しくもあらむとぞ思ひける。工藤くどう 左衛門さえもん 天下てんか に聞こえたる小鼓こつづみ手色ていろ なり。からかみ・きす王も、いか でかこれにまさ るべき。
和讒わざん差挟さしはさ みたれども梶原かじはらかね に於いては上手なり。畠山、名を得たる笛のいま に始めぬことなれども、こころ も言葉も及ばざりけり。
禅師ぜんじ を呼びて、まい装束しょうぞく をぞしたりける。松に かれるふじ の花、いけみぎわ に咲き乱れ、うら吹く風にうちかお り、つねにゆかしき時鳥ほととぎす の一声も、おり がお にぞ覚えける。

「静はこれを見て、自分はよくも辞退したことよ。同じ事なら、舞うとしても、このような楽人仲間の伴奏でこそ舞うべきだ。軽い気持ちで舞ったなら、どんなに軽薄に見えただろうと思った。工藤左衛門は天下に名高い小鼓の手色である。からかみ・きす王も、どうしてこれに勝ろうか。讒言をお耳に入れたが、梶原は鐘に関しては上手である。畠山は評判の笛の音色で、今に始まった事ではないが、想像も絶し言葉にも尽くせないほど見事である。
静は禅師を呼んで舞の衣裳を身につけた。折から松に絡まった藤の花が池の岸辺近くに美しく咲き乱れ、そよそよと吹く風に乗ってその香りが漂い、いつ聞いても懐かしい時鳥の一声も、その季節の訪れをいかにも知っているかのように思われた。

しずか がその日の装束しょうぞく には、白き小袖こそでかさ ねに、唐綾からあやうえ引重ひきかさ ねて、白きはかま みしだき、割菱わりびし いたる水干すいかん に、たけ なるかみ 高らかに ひなして、このほど の嘆きにおも せたる気色けしき にて、薄化粧うすげしょうまゆ ほそ やかに作りなし、みな くれないおうぎ宝殿ほうでん に向かひて立ちたりけるが、さすが鎌倉殿かまくらどの の御前にての舞なれば、おも ゆくや思ひけん、舞ひかねてぞ躊躇やすら ひける。
二位殿にいどの これを御覧じて、
去年こぞ の冬四国の波の上にて揺られ、吉野よしの の荒き風に吹かれ、今年ことし海道かいどう の長旅にておとろ へたりと見えたれども、しずか を見るに、わがちょう に女ありとも知られたれ」
とぞ仰せられける。
静のその日の装束は、白い小袖一襲に、唐綾を上に重ね着して、白い袴を踏み散らし、割菱の紋を縫いつけた水干に背丈ほどの髪を高く結いあげて、最近の悲しみのため面やつれの様子で、薄化粧し眉を細めにかき、真赤な扇を開いて神殿に向かって立ったが、さすがに鎌倉殿の御前での舞だから気恥ずかしく思われたのだろう、舞いわずらってためらっていた。
二位殿はこの様子をご覧になり、
「去年の冬は四国の波の上で船に揺られ、吉野の山の激しい寒風に吹かれ、今年は東海道の長旅でやせ衰えたと見受けられるが、静を見ると、わが国にもこんな美しい女がいたかと改めて知ったぞ」
とおっしゃった。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ