静
これを見て、よくぞ辞退
したりける。同じくは舞ふとも、かかる楽党にてこそ舞ふべけれ。心軽
くも舞ひたりせば、如何
に軽々
しくもあらむとぞ思ひける。工藤
左衛門
天下
に聞こえたる小鼓
の手色
なり。からかみ・きす王も、争
でかこれに勝
るべき。
和讒
は差挟
みたれども梶原
は鐘
に於いては上手なり。畠山、名を得たる笛の音
、今
に始めぬことなれども、心
も言葉も及ばざりけり。
禅師
を呼びて、舞
の装束
をぞしたりける。松に懸
かれる藤
の花、池
の汀
に咲き乱れ、うら吹く風にうち薫
り、つねにゆかしき時鳥
の一声も、折
知
り顔
にぞ覚えける。 |
「静はこれを見て、自分はよくも辞退したことよ。同じ事なら、舞うとしても、このような楽人仲間の伴奏でこそ舞うべきだ。軽い気持ちで舞ったなら、どんなに軽薄に見えただろうと思った。工藤左衛門は天下に名高い小鼓の手色である。からかみ・きす王も、どうしてこれに勝ろうか。讒言をお耳に入れたが、梶原は鐘に関しては上手である。畠山は評判の笛の音色で、今に始まった事ではないが、想像も絶し言葉にも尽くせないほど見事である。
静は禅師を呼んで舞の衣裳を身につけた。折から松に絡まった藤の花が池の岸辺近くに美しく咲き乱れ、そよそよと吹く風に乗ってその香りが漂い、いつ聞いても懐かしい時鳥の一声も、その季節の訪れをいかにも知っているかのように思われた。
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静
がその日の装束
には、白き小袖
一襲
ねに、唐綾
を上
に引重
ねて、白き袴
踏
みしだき、割菱
縫
いたる水干
に、丈
なる髪
高らかに結
ひなして、この程
の嘆きに面
痩
せたる気色
にて、薄化粧
に眉
細
やかに作りなし、皆
紅
の扇
、宝殿
に向かひて立ちたりけるが、さすが鎌倉殿
の御前にての舞なれば、面
映
ゆくや思ひけん、舞ひかねてぞ躊躇
ひける。
二位殿
これを御覧じて、
「去年
の冬四国の波の上にて揺られ、吉野
の荒き風に吹かれ、今年
は海道
の長旅にて痩
せ衰
へたりと見えたれども、静
を見るに、わが朝
に女ありとも知られたれ」
とぞ仰せられける。 |
静のその日の装束は、白い小袖一襲に、唐綾を上に重ね着して、白い袴を踏み散らし、割菱の紋を縫いつけた水干に背丈ほどの髪を高く結いあげて、最近の悲しみのため面やつれの様子で、薄化粧し眉を細めにかき、真赤な扇を開いて神殿に向かって立ったが、さすがに鎌倉殿の御前での舞だから気恥ずかしく思われたのだろう、舞いわずらってためらっていた。
二位殿はこの様子をご覧になり、
「去年の冬は四国の波の上で船に揺られ、吉野の山の激しい寒風に吹かれ、今年は東海道の長旅でやせ衰えたと見受けられるが、静を見ると、わが国にもこんな美しい女がいたかと改めて知ったぞ」
とおっしゃった。 |
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原
正昭 発行所:小学館 ヨ リ |