〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/24 (金) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十五)

「畠山、この仔細しさい を御諚にて候」 と申しければ、畠山、
「君の御内にきりせめたる工藤左衛門つづみ ちて、八箇国はちかこくさぶらひ所司しょし 、梶原銅拍子どうびょうし 合はせて、重忠しげただ が吹きたらんずるは、俗姓ぞくしょう 正しき楽党がくとう にてぞあらんずらん」 とて、仰せに従ひ参らすべきよし を申し給ひつつ、三人の楽党は、所々ところどころ より思ひ思ひに出で立ちたり。
左衛門尉さえもんのじょうは、紺葛こんくずはかま に、木賊色とくさいろ水干すいかん に、立烏帽子たてえぼし紫檀したんどう に、ひつじかわ にて張りたるつづみ の、むつ調しら べをかき はせて、ひだりわき にかいはさ みて、はかまそば 高らかに差挟さしはさ み、うえ の松山、廻廊の天上てんじょう に響くほど に、手色ていろ 打鳴うちな らして、残りの楽党をぞまち けたる。

「畠山、こういう訳でご命令でござる」 と云って伝えたところ、畠山は、
「わが殿のご家中で権勢を振るっている工藤左衛門が鼓えお打って、関東八カ国の侍所の次官の梶原が銅拍子を合わせ、この重忠が笛を吹いたならば、素性の正しい楽人仲間という事になるでござろう」 と言って仰せに従い申し上げる旨をおっしゃりながら、三人の楽人仲間は別々の場所から思い思いに装束を整えて立ち現れた。
左衛門尉は、紺の葛袴、木賊色の水干に立烏帽子を被り、紫檀の胴に羊の皮を張った鼓の、六つの調べの緒をかき合わせて左の脇に抱え、袴の股立を高くとって挟み込み、八幡宮の上の松や廻廊の天上に鳴り響く程に鼓を音色よく打ち鳴らして、他の楽人仲間を待ち受けていた。

梶原平三は、紺葛こんくずはかま に、山鳩色やまばといろ水干すいかん に、立烏帽子たてえぼし南鐐なんりょうもつ って作りて、黄金こがね菊型きくがた 打ちたる銅拍子どうびょうし に、啄木たくぼく を入れて、祐経がみぎ の座敷に居直いなお りて、鼓の手色ていろ に従ひて、鈴虫すずむし などの鳴くやうに合はせ まして、畠山をぞ待懸まちか けたる。
梶原平三は紺の葛袴、山鳩色の水干に立烏帽子を被り、南鐐で作って黄金の菊型を打った銅拍子に啄木組の緒をつけて、祐経の右の座席に正座し、鼓の音色につれて、鈴虫が鳴くように銅拍子をうまく合わせながら畠山を待ち受けた。
畠山はたけやま は、まくほころ びより座敷のてい差覗さしのぞ いて、打ち見て、べつ して色々しくも出で立たず、白き大口おおぐち に、白き直垂ひたたれ に、紫革むらさきがわひも 付けて、折烏帽子おりえぼし片々かたかた をさつと引立ひつた てて、松風まつかぜ と名付けたる漢竹かんちく横笛やうでう を、いきした調子ちょうしさぐ れば、黄鐘おうしきおつ の調子にありける。しばら まして、はかまそば 取りて、高らかにひき げて、まく さつとうち げ、つと出でたれば、大のおとこおも らかにあゆ みなして、舞台ぶたい につと上り、祐経がひだりかた にぞ居直りける。 名を得たる美男びなん なりければ、あはれ人やとぞ見えける。そのとし 二十三にぞなりける。鎌倉殿これを御覧じて、御簾みす の内より、「あはれ楽党がくとう や」 とぞ めさせ給ひける。時にとりてはゆゆしくぞ見えける。
畠山は幕のほつれた隙間から座敷の様子を覗き見てから、格別豪華にも装わず、白い大口と白い直垂に紫革の紐をつけて着、折烏帽子の折った端々を鋭く角立てて、松風と名づけた漢竹の横笛を、軽く息を吹きつけて調子を探ると黄鐘の乙の調子であった。暫く調子を吹き整えてから、袴の股立をとってそれを高々と引き上げ、幕をさっと掲げてつと出ると、大男らしく重々しく歩を運んで舞台につと上がり、祐経の左の方に正座した。評判の美男だけあって、ああ立派なお人よと見えた。この時その年二十三歳であった。鎌倉殿はこれをご覧になって、御簾の内から 「ああ見事な楽人仲間よ」 とお褒めになった。その時にふさわしく奥床しく見えた。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ