〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/23 (木) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十四)

鎌倉殿かまくらどの聞召きこしめ して、
世間せけん せば き事かな。鎌倉にて舞はせんとしけるに、鼓打つづみうち がなくて、つい に舞はざりけりと聞こえん事こそ恥づかしけれ。梶原かじはら侍共さぶらひどもなか に、つづみ 打つべき者やある。尋ねて打たせよ」
と仰せられければ、景時かげとき 申しけるは、
工藤くどう 左衛門尉さえもんのじょうこそ、小松殿こまつどの の御時、内侍所ないじどころ御神楽みかぐら に召されて候ひけるに、殿上でんじょう に名を げたる小鼓こつづみ の上手にて候ふなれ」 と申したりければ、
「さらば祐経すけつね 打ちて舞はせよ」 と仰せ蒙りて、申しけるは、
「余りに久しくつかまつ り候はで、鼓の手色ていろ などこそ思ふほど に候ふまじけれども、御諚ごじょう にて候へば、つかまつ りてこそ見候はめ。鼓ひと 拍子ひょうし にてはかな ふまじく候。かね の役を召され候へ」 と申したりければ、
「鐘はたれ かあるべき」 と仰せられけるに、 「長沼ながぬま 五郎ごろう こそ候へ」 と申しければ、 「尋ね打たせよ」 と仰せられければ、 「眼病がんびょう に身をそん じて、出仕も仕らず」 と申せば、 「さ候はば景時かげとき 仕りて見候はばや」 と申せば、 「なんぼうの、梶原かじはら銅拍子どびょうし ぞ」 と、工藤くどう 左衛門さえもん に御尋ねあり。
長沼ながぬま に次いでは梶原かじはら こそ候へ」 と申しければ、 「さてはくる しかるまじ」 とて鐘の役とぞ聞こえける。
佐原さはらの 十郎申しけるは、
「時の調子ちょうし は大事の物にて候ふに、たれ にかは音取ねとり を吹かせ候はばや」 と申せば、鎌倉殿かまくらどの
たれ か笛吹きぬべき者やある」 と仰せらるれば、和田わだの 小太郎申しけるは、 「畠山はたけやま こそいん御感ぎょかん に入りたりし笛にて候へ」 と申しければ、 「いかでか畠山ほど賢人けんじん 第一の異様いよう の者、楽党がくとう にならんとは、仮初かりそめ なりともよも言はじ」 と仰せられければ、 「御諚と申して見候はん」 とて、畠山が桟敷さじき へぞ行きける。

鎌倉殿もそれを聞かれて、
「世の中は狭きものよ。鎌倉で舞わせようとしたのに、鼓打ちがおらず、遂に舞わせることが出来なかったと噂を立てられるのは恥かしいことだ。梶原、侍たちの中に鼓を打てる者はいないのか。探し出して打たせろ」 とおっしゃった。
景時が 「工藤左衛門尉こそ、小松殿の御時に内侍所の御神楽に召されましたが、その時殿上で名をあげました小鼓の上手でございます」 と申し上げたところ、 「それでは祐経、鼓を打って静に舞わせよ」 とおっしゃった。
祐経は仰せを戴き、 「余りに長い間やっておりませんので、鼓の音色なども思うようにはゆきますまいが、ご命令でどざいますので、やってみる事に致しましょう。けれども鼓一つの拍子だけでは具合が悪うございましょう。鐘の役の者をお召しだし下さい」 と申し上げたので、
「鐘は誰かいるか」 とおっしゃった。
「長沼五郎がおります」 と申し上げると、 「探し出して打たせよ」 とおっしゃった。
「眼病の為体をこわして、出仕しておりません」 と申し上げると、
「それでございますなら、景時がやってみる事に致しましょう」 と梶原が口を挟んだので、
「どれぐらいの、梶原は銅拍子の上手なのか」 と、工藤左衛門にお尋ねにがあった。
「長沼に次いでは、梶原が上手でござる」 と申し上げたので、
「それでは差支えなかろう」 とおっしゃって、梶原が鐘の役という事になった。
佐原十郎が口を挟んで、 「その時に合った調子が大事でござれば、誰かに音取を吹かせたいものでござる」 といったので、鎌倉殿は、
「誰か笛を吹きこなせる者はいないか」 とおっしゃる。すると和田小太郎が、 「畠山こそ、法皇がご感心なされたほどの笛でござる」 といったので、 「どうして畠山ほどの賢人第一といわれる変わり者が楽人仲間の一員になろうなど、当座の事とてよもや言いはすまい」 とおっしゃたが、 「ご命令だといってみましょう」 といって、義盛は畠山の桟敷へ行った。

『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ