かくて静
を待つ程
に、巳
の時
ばかりまで参詣
なし。
「如何
なる静
なれば、これ程に人の心を尽くすらん」 なんどともうしける。
遥
かに日闌
けて、輿
を舁
きてぞ出で来たる。
左衛門尉、掘藤次
の女房
諸共
に打連
れて、廻廊
にぞ詣
でたりける。禅師
・催馬楽
・其駒
は、其の日の役人
なりければ、静
に連
れて、廻廊の舞台
へ直
り、さへせんのぜうの女房は、同じ姿なる女房達
三十人余引
具
して、桟敷
に入りけり。静
は衣打被
きて、静に念誦
してぞ居たりける。
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こうして静を待っていたが、巳の時頃まで参詣がない。
「どういうつもりで静は、これほど人の気をもますのであろう」 などと人々は言っていた。ずっと陽が高く昇ってから、静は輿に乗ってやって来た。
左衛門尉と掘次の妻も一緒に連れ立って、廻廊に参詣をした。禅師、催馬楽、其駒は、この日の演技者であったから、静とともに廻廊の舞台へ着座し、左衛門尉の妻は、同じ姿をした女房たち三十人を引連れて、桟敷に入った。静は衣を頭に被って、静に経文を唱えていた。
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先
ず磯禅師
、珍
しからねども、神法楽
の為
なれば、催馬楽
に鼓
打たせて、すきもののせうしやうといふ白拍子
を数
へてぞ舞ひたりける。心も言葉も及
ばれず。
「さしも聞こえぬ禅師が舞いに、これ程
おもしろきに、まして静
が舞はん時、如何
におもしろからんずらむ」 とぞ申しあひける。
静
は人の振舞
、幔幕
の引き様
に、如何
様
にも鎌倉殿の御参詣と覚ゆる。祐経
が女房に賺
されて、鎌倉殿の御前
にて舞はせんとすると覚ゆる。あはれ何
ともして、今日
の舞を舞はで、帰らばやとぞ千種
に案
じ居たりける。 |
先ず磯禅師が、珍しい事ではないが、神様をお慰めするためだからといって、侍女の催馬楽に鼓を打たせて、“すきもののせしやう”
という白拍子の曲を歌って舞った。想像も及ばず言葉にも尽くせない見事さであった。
「それほど評判も高くない禅師の舞ですら、これほど面白いのだから、まして静が舞ったときは、どんなにか面白い事だろう」
と、話し合った。
静は、人の挙動や幔幕の引き方で、間違いなく鎌倉殿のご参詣と思われる。祐経の妻女に言いくるめられ、鎌倉殿の御前で舞わせようとされているらしい。ああ何とかして、今日の舞を舞わずに帰りたいものよと、色々と思案に暮れていた。
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左衛門尉を呼びて申しけるは、
「鎌倉殿の御参詣と覚え候。都
にて内侍所
に召されし時は、内蔵頭
信光
に囃
されて舞ひたりしぞかし。しでの池の雨乞
いの時は、四条のきす王
に囃
されてこそ舞ひて候ひしか。この度
は御不審
の身にて召
し下
されしかば、鼓打
などをも連れても下
り候はず。母にて候ふ人の形
の如くの腕差
を参らせられ候。わらはは都
に上
り候ひて、またこそ鼓打
をも用意して、わざと下
りて、腕差
をも参らせ候はめ」
とて、やがて立
ち気色
に見えければ、大名
・小名
これを見て、興醒
めてぞありける。 |
そして、左衛門尉を呼んでこう言った。
「鎌倉殿のご参詣とお見受け申します。私が都で内侍所にお召しをいただいた時は、内蔵頭信光に囃してもらって舞ったことでございました。また、しでの池での雨乞いの時には、四条のきす王に囃してもらって舞ったものでございます。
今度は嫌疑をうけている身としてお呼び下しになった事とて、鼓打なども連れて来ておりません。既に母に当たります者が、定式通りに腕差しを奉納いたしました。私は一旦都に上りまして、またの機会に鼓打ちも用意し、改めて下向し腕差しを奉納致しましょう」
といって、そのまま立ちそうな様子に見えたので、大名・小名はこれを見て興ざめしてしまった。 |
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『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ
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