〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/23 (木) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十三)

かくてしずか を待つほど に、とき ばかりまで参詣さんけい なし。
如何いか なるしずか なれば、これ程に人の心を尽くすらん」 なんどともうしける。
はる かに日 けて、輿こし きてぞ出で来たる。
左衛門尉さえもんのじょう掘藤次ほりのとうじ女房にょうぼう 諸共もろとも打連うちつ れて、廻廊かいろう にぞもう でたりける。禅師ぜんじ催馬楽さいばら其駒そのこま は、其の日の役人やくにん なりければ、しずか れて、廻廊の舞台ぶたいなお り、さへせんのぜうの女房は、同じ姿なる女房たち 三十人余ひき して、桟敷さじき に入りけり。しずか衣打被きぬうちかづ きて、静に念誦ねんじゅ してぞ居たりける。

こうして静を待っていたが、巳の時頃まで参詣がない。 「どういうつもりで静は、これほど人の気をもますのであろう」 などと人々は言っていた。ずっと陽が高く昇ってから、静は輿に乗ってやって来た。
左衛門尉と掘次の妻も一緒に連れ立って、廻廊に参詣をした。禅師、催馬楽、其駒は、この日の演技者であったから、静とともに廻廊の舞台へ着座し、左衛門尉の妻は、同じ姿をした女房たち三十人を引連れて、桟敷に入った。静は衣を頭に被って、静に経文を唱えていた。

磯禅師いそのぜんじめずら しからねども、神法楽ほうらくため なれば、催馬楽さいばらつづみ 打たせて、すきもののせうしやうといふ白拍子しらびょうしかぞ へてぞ舞ひたりける。心も言葉もおよ ばれず。
「さしも聞こえぬ禅師が舞いに、これほど おもしろきに、ましてしずか が舞はん時、如何いか におもしろからんずらむ」 とぞ申しあひける。
しずか は人の振舞ふるまい幔幕まんまく の引きよう に、如何いか さま にも鎌倉殿の御参詣と覚ゆる。祐経すけつね が女房にすか されて、鎌倉殿の御まえ にて舞はせんとすると覚ゆる。あはれなん ともして、今日きょう の舞を舞はで、帰らばやとぞ千種ちぐさあん じ居たりける。

先ず磯禅師が、珍しい事ではないが、神様をお慰めするためだからといって、侍女の催馬楽に鼓を打たせて、“すきもののせしやう” という白拍子の曲を歌って舞った。想像も及ばず言葉にも尽くせない見事さであった。
「それほど評判も高くない禅師の舞ですら、これほど面白いのだから、まして静が舞ったときは、どんなにか面白い事だろう」 と、話し合った。
静は、人の挙動や幔幕の引き方で、間違いなく鎌倉殿のご参詣と思われる。祐経の妻女に言いくるめられ、鎌倉殿の御前で舞わせようとされているらしい。ああ何とかして、今日の舞を舞わずに帰りたいものよと、色々と思案に暮れていた。

左衛門尉さえもんのじょうを呼びて申しけるは、
「鎌倉殿の御参詣と覚え候。みやこ にて内侍所ないじどころ に召されし時は、内蔵頭くらのかみ 信光のぶみつはや されて舞ひたりしぞかし。しでの池の雨乞あまごい いの時は、四条のきすおうはや されてこそ舞ひて候ひしか。このたび は御不審ふしん の身にてくだ されしかば、鼓打つづみうち などをも連れてもくだ り候はず。母にて候ふ人のかた の如くの腕差かいなざし を参らせられ候。わらははみやこのぼ り候ひて、またこそ鼓打つづみうち をも用意して、わざとくだ りて、腕差かいなざし をも参らせ候はめ」
とて、やがて気色きそく に見えければ、大名だいみょう小名しょうみょう これを見て、興醒きょうざ めてぞありける。
そして、左衛門尉を呼んでこう言った。
「鎌倉殿のご参詣とお見受け申します。私が都で内侍所にお召しをいただいた時は、内蔵頭信光に囃してもらって舞ったことでございました。また、しでの池での雨乞いの時には、四条のきす王に囃してもらって舞ったものでございます。 今度は嫌疑をうけている身としてお呼び下しになった事とて、鼓打なども連れて来ておりません。既に母に当たります者が、定式通りに腕差しを奉納いたしました。私は一旦都に上りまして、またの機会に鼓打ちも用意し、改めて下向し腕差しを奉納致しましょう」
といって、そのまま立ちそうな様子に見えたので、大名・小名はこれを見て興ざめしてしまった。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ