〜 〜 『 寅 の 読 書 室 』 〜 〜
 

2009/07/22 (水) しずか 若 宮 八 幡 宮 へ 参 詣 の 事 (十二)

鎌倉殿仰せられけるは、梶原かじわら 源太げんだ を召して、
まい は御拝殿か、廻廊のまえ か」
雑人ぞうにん がえいやづきをして、物の差別さべつ も聞こえ候はず」 と申しければ、
「こてのりを召して、放逸ほういつ に当たり出だせ」 とぞ仰せられける。
源太げんだ 承りて、 「御諚ごじょう ぞ」 と言ひければ、こてのり放逸ほういつ散々さんざん に打つ。
おとこ烏帽子えぼし を打ち落とさる。法師ほうしかさ を打ち落とさる。きず を付くものそのかず ありけれども、
「これほど物見ものみ一期いちご に一度も大事ぞ。きず は付くとも えんずらん」
とて、身の成行なりゆすえ を知らずして、くぐ り入るあいだ 、なかなか騒動そうどう にてぞありける。

鎌倉殿は梶原源太を呼んでこう仰せられた。
「舞はご拝殿か、廻廊の前か」
「雑人の者たちが喚いて押し合っておりまして、どちらがそれか見分けもつきません」 と申し上げると、
「小舎人を呼んで、手荒く取り締まって追い出してしまえ」 とおっしゃった。
源太は謹んでお受けし、 「ご命令だぞ」 といったので、小舎人が乱暴に散々に雑人どもを打擲 (チョウチャク) した。そのため、男は烏帽子を打ち落とされ、法師は笠を打ち落とされた。怪我をした者も大勢いたが、それでも、
「これほどの見物は、一生一度の大事件だぞ。怪我をしたって治るだろう」 といって、人々は自分の身がどうなるか先の事も考えずに潜り込むので、益々騒動がひどくなった。

佐原さはら 十郎申しけるは、
「あはれかねてだにも知りて候はば、廻廊の真中まんなか に、舞台ぶたい ゑて舞はせ奉り候はんずるものを」 と申しけり。鎌倉殿聞召きこしめ して、 「あはれこれは が申しつるぞ」 と御尋ねありければ、 「佐原さはらの 十郎申して候」 と、見参げんざん に入る。
佐原故実さはらこじつの者なり。もつと もさるべし。やがて支度したく して舞はせよ」 と仰せられけり。
義連よしつら 承りて、ときの事なりければ、若宮わかみや修理しゅうり の為に積み置かれたる材木ざいもく を、一時に運ばせて、高さ三尺に舞台ぶた を張りて、鎌倉殿の御見物けんぶつ なれば、佐原さはらの 十郎ことこの む者にて、紋黄もんき 唐綾からあや を以てぞ包みたりける。当座とうざ はこれを見物にしたりといふとも不足ふそく あるべしとも覚えず。
佐原十郎は、この様子を見て、
「ああ、前々から知ってさえいれば、廻廊の真中に舞台をこしらえて、お舞わせ申し上げたものを」 とつぶやいた。鎌倉殿は、これをお聞きになり、 「おお、今の言葉は誰が言ったのか」 と、お尋ねになったので、 「佐原十郎が申しました」 とお耳に入れる。
「佐原は古いしきたりに通じた者だ。なるほどその通りよ。すぐその舞台を準備して舞わせろ」 とおっしゃった。
義連はご命令をお受けして、急場の事だったので、若宮の修理の為に積んであった材木を、大急ぎ運ばせて、三尺の高さに舞台を築き、鎌倉殿のご見物なので、佐原十郎は凝り性でもあり、紋を黄糸で刺繍した唐綾ですっぽりと包んだ。さしあたってこれを見物するだけでも退屈する事はないように思われた。
『義 経 記』 校注・訳者:梶原 正昭 発行所:小学館 ヨ リ